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吉田浩二さんのこと

こんにちは。

スクラムヒューマンパワー代表 日原 達仁です。

私の記事を読んでいただいて、ありがとうございます。

山梨は360度山に囲まれています。
「やまなし」県ですが、山が無いわけではなく、
四方八方に連なり、富士山から八ヶ岳、日本百名山に連なっています。
県庁所在地である甲府市はまさに盆地、夏は暑く冬は寒いです。

友人が毎年、山梨市の山でキャンプを張ります。
そこに私が最も信頼する仲間と薪を囲い、
それぞれ飲みたいお酒やソフトドリンクを持ち寄り、
燃え上がる炎を見ながら深夜まで語らいます。
「達(日原達仁の「達」。私のことです)、
   俺も高校1年生の時に練習が厳しくてランパス1本半で倒れたんだよ!」
と笑いながら、自身の苦い体験を楽しそうに話します。
「マジですか?先輩が?!」

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吉田浩二先輩。
ポジションは私と同じ1番、日川高校ラグビー部で、
1年生からレギュラーで活躍しました。

私の兄のふたつ下で、兄の花園最後の試合に一緒に出場しています。
3番の選手が怪我のため出場できず、急遽3番での出場でした。

相手は大分の古豪、大分舞鶴高校。何度もスクラムを組みなおし、
大接戦の末、僅差で敗れました。
日川高校のベスト8進出はならず、キャプテンだった兄は、
大勢の関係者へお辞儀をしたまま崩れ落ちました。
私は当時小学校5年生だったのですが、
その瞬間は忘れることが出来ません。

当時高校1年生だった先輩は、ヘッドキャップを取ると、
坊主頭も初々しい16歳で、やはり泣いていたかと記憶しています。
不慣れなポジションで、スクラムが崩れた責任を感じたのかもしれません。

3年生になった先輩は、チームの中心として活躍し、
日川高校は全国ベスト4に残ります。
高校日本代表選手にも選ばれ、周囲からも期待が高まります。
テレビで活躍する先輩を見て、敬意を抱きました。

日本体育大学では、日本代表の合宿へ参加し、
4年生の時には200名以上の部員を
まとめあげるキャプテンに選出されました。
大学時代の先輩は、高校時代よりもスマートに、
ランボーのような肉体を手に入れ、よく走る、
「走れるプロップ」として大活躍していました。

私が日川高校2年生の時、
吉田先輩は教育実習生として母校に戻ってきました。

ラグビー部の顧問が担任の先生で、私のクラスを受け持ちました。
「すげ~!吉田浩二がいたよ!!」です。

小学生の頃からのファンでしたので、
憧れの選手が身近にいることに、ときめきを隠しきれません。

約1か月程の教育実習期間、授業に部活にと、指導を受けました。
吉田先輩は、少し体調を崩していて、
苦労した大学生活の話をしてくれたり、
男子高校生が大好きな話題では、
廊下中を大爆笑に巻き込むような話をしてくれたり、
私は早く東京に出て
「大人の楽しみ」を味わいたい気持ちになりました(笑)。

そんな吉田先輩が、チームの練習を指導してくれたのですが、
今思い返してみてもコーチングらしいことは思い出せません。
ただ、「この人はものすごい練習をする…変態かな?」
ということだけ、思い出せます。

例えば、8人ぐらいでパスを繋ぎながら50メートルを
全力で走るトレーニングがあります。
いろんな要素が含まれている練習なんですが、
ゴールランまで全力で走ります。心拍数も160位まで上がります。
普通の選手は走り終わると、次の準備までは歩きます。
しかし、吉田先輩は練習中に歩きません。次のポイントまでまた走ります。
ひたすら走ります。さぼることは一切ありません。


スクラムの練習も、目がぎらぎらしています。
私もプロップ、同じポジションなので先輩に習おうと思いましたが、
暑さのあまり途中でギブアップしました。
日本代表に選ばれる選手は、一切の妥協が無く、
自分から追い込み、精神的にも強い、前向きな人でした。
それにくらべ、俺はなんて弱い選手なんだ…と自省しました。

そんな吉田先輩の大学4年生時、
最後の国立競技場で決勝をかけた試合のことです。
相手は明治大学。6万人を超える大観衆が見守ります。
私はテレビの前で応援していました。
吉田先輩は、途中相手のタックルで脳震盪を起こし、担架で運ばれます。
回復したのか、起き上がった吉田先輩は、
ふらふらになりながらも仲間のいるピッチへ戻りました。
そんな吉田先輩の姿に、感動したことを覚えています。

今のラグビーは安全第一、マウスピースをしたり、
脳震盪を起こすと次回の試合は出場できません。
当時はくたくたになるまでゲームで戦う姿に周囲は感動しました。
時代です。スポ根ですね(笑)。

ラグビー選手として、吉田先輩の姿に主体性、自主性を教わりました。
主体性、自主性がチームに良い影響を与える例を目の当たりにし、
200名以上いる部員を率先していく姿、
周りへ影響の輪を広げていく姿に、ONE TEAMの在り方を見ていました。
吉田先輩はそういう姿を思い描き、自ら演じていたのだと思います。

30年も経過すると、先輩後輩の関係もフランクになってきます。
日曜の午後になると、時々吉田先輩から携帯に着信があります。
「今からBBQ始めるけど、こないか」
「先輩、せめてもう何日か前に連絡くださいよ・・・」と返すのですが、
すでにBBQには何を持参しようかと考えている自分もいます。
しばらくはお酒が飲めない先輩ですが、
ラグビー仲間と笑顔で語らうBBQは何物にも変え難い時間です。

練習する姿で、背中で伝えられる。そんな姿を見せていきたいですね。
次回も人材育成についてお話いたします。


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