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あなたがだれかと出会うときは、もしかすると、同時に”未知の自分”と出会っているのかもしれませんよ。 私たちは自分以外の人とかかわり合うなかで、それまで自覚していなかった自分に気づくことができるからです。 ときには、イヤな気分を味わうこともあるかもしれませんが、じつは、それも自分の一部分なんですね。 「目の前にいる人は、自分の内面を映し出す鏡」だから。 たとえば、だれかと出会って「なんて愛情深い人だろう…」と感じて心が震えるのは、あなたの内側にも同じような深い愛があるから
これも、わたし・・・ あれも、わたし・・・ それだって、わたしみたい・・・ もしかして、わたしは、 なんにでもなれるのかな? * 「自分の性格を変えたい!」と思ったことはありませんか? ずるい自分を思い知ったり、意固地になってしまったり、見栄をはってしまったりしたときとか・・・ 私も自己嫌悪に陥るたびに、「いつも”自分の好きな自分”でいられたらどんなにラクだろう」とずっと思っていました。 自分の嫌いな部分が「影/陰」、好きな部分が「光/陽」だとしたら、「影」
わたしは、 世界にひとりしかいない。 あなたも、 世界にひとりしかいない。 だれも、代われないって、 すごいことだね。 * 思春期のころ、私は“強さ”にあこがれました。 「さみしい」「つらい」とぼやくのは心が弱いからだと考えていたし、ましてや人前で泣くなんて最低!と思っていたのです。 だから、自分がさみしくてどうにかなりそうだったときも、泣き叫びたいほどつらかったときも、その感情を打ち消して、平気な顔をしていました。 「強くなりたい」と思うこと自体、本
また、だれかになんかいわれたらどうしよう… どうやって感情を表現したらいいのかわからない。 だって、なにをいっても、なんかちがう。 こんなに傷ついてるのに、 こんなにさみしがってるのに、 ワタシの気持ちなんて、だれもわかってくれない。 * 複雑な感情のときって、あるよね。 だけど、 「だれも自分をわかってくれない」と思うときは、 「だれにも自分の心を開いてない」ときかも。 人間なんて大キライ!とカラに閉じこもってみても、 ヘソを曲げて、心とウラハラな態度
自分が、陰口をたたかれていることを知った。 しかも、信用してた友だちが張本人だったなんて… すっかり、人間不信に陥った。 裏切られたこと、ぜったいに許せない! その友だちに聞いても、どうせトボケルだけ。 私はどういう態度をとればいいんだろう… * 彼女は、小さな満足を得ようとして、 人間として、大切なものを見失ったんだね。 もし、自分に誇りを持って幸せに生きていたら、 決して、友だちを裏切ったりしないから。 その彼女に憎しみを抱いても、 おなじ土俵
場の空気が読めない人、と思われたくない。 なにか〝気のきいたこと″いわなくちゃ… そう思うと、あせって言葉が出ない。 話ベタな自分にほとほと閉口する。 ふたりだけだったら、いくらでも話せるのに… 大勢になると、からきしダメ。 これって、一生直らないものなの? * 〝気のきいた言葉〟なんて探すことないよ。 ひとりひとりの感性は、ぜんぶ違うから、 〝ワタシが感じるまま〟以上のステキな言葉はない。 ふたりだと話せるのは、 相手のいうことをよーく聞いて、 共感し