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教員不足のニュースを見るとチクチク胸が痛む元教員の私は、参院選で教員不足解消に取り組む政党に投票するかもしれない。



あんまり知られていないことなのですが、公教育を担う教員不足がどえらい問題になっています。

先日、学生時代からお世話になった方が記者会見を開き、この問題について訴えていました。


様々な理由でお休みされている教員の代わりの先生が全然見つからず、教頭先生が授業するなどして、なんとか毎日を凌いでいる学校がとても多いんです。

この教員不足問題に関するニュースや投稿を見るたびに私の胸は痛みます。

教員不足のニュースを見てチクチク胸が痛むなんて、SNSでは見かけない、結構レアな反応っぽいのでここにまとめておきます。



なぜ胸が痛むかというと、「日々先生たちが頑張ってるのを知りながら、教員免許もあり、(腰以外は)健康な自分が先生してなくてごめんなさい。」という罪悪感を感じるからです。


繊細ですかね?
もしかしたらそうなのかもしれません。


私は教育大学を卒業し、小学校教員をしていました。友だちや知り合いに先生をしている人が多く、教育現場で働く先生たちには好意的な印象を持っています。もっといえば、頭が下がる気持ちです。


私が教員を辞めたのも、学校が嫌いだからではないし、今も別に学校アンチではありません。



もし自分の身体が二つあったり、NARUTOの多重影分身が使えたりしたら、きっと引き続き小学校教員をしていたと思います。今の教員不足のニュース見ると、より強くそう思います。


でも実際のところ、明日から教員に戻れるかと言えばそうではありません。今の仕事もあります。だからこそ罪悪感を感じるんです。


なんとなく伝わりますかね?


このような気持ちから、学校の先生とはちょっと違う形で教員不足問題について、私は関心を持っています。

この問題のど真ん中の当事者ではないけれど、当事者の辺縁にいる者としての関心です。



そんな私が、なぜ参院選では教員不足解消に取り組む政党に投票するしようと思うのかについてお話しします。


端的に言えば、今の自分が教員不足問題の解決に向けて出来ることで一番効果がありそうだと考えたからです。


今の自分ができそうなことといえば、講師登録したり採用試験を受けたりして教員に戻るか、教員志望の学生ボランティアさんたちの意欲を絶やさず励ましていくか、参院選で教員不足解決を訴える政党に投票するか、くらいです。



自分が教員に戻っても不足数が一枠軽減されるくらいです。全然解決しない。学生さんのモチベートも同様です。仕事で関わる教員志望の学生さんは、片手で数えられるくらいですから。


となると、構造的にこの問題を解決するには政治にアプローチするしかない。でも、私には日頃から懇意にしてる議員さんもいないし、立候補する気もなければ、当然支持基盤もない。ロビイングは、すでに活動されている皆様に任せた方が良さそう。

現状、自分ができそうなのは投票です。


話は少し変わりますが、この教員不足問題を放っておくとえらいことになります。

まず、学級崩壊やいじめなどの問題が増えるでしょう。表面化しなかったとしても、学校にストレスや不満を抱える家庭は確実に増えます。

人手が減るんですから、これまでは現場でできていたこともできなくなってしまいます。


続いて不登校も増えるでしょう。その理由は、いじめや人間関係のトラブルなど、従来から多かったケースだけじゃなく、学校では落ち着いて勉強できないから行かせないなど、これまではあまり見られなかったケースも出てくるでしょう。



私が働く不登校支援の業界や、通信制高校、オンライン授業ができる法人には、利用者や問い合わせが増えるはず。

短期的には不登校支援の業界は賑わうでしょうけど、良くも悪くもそれぞれの教室や居場所の質はバラバラなので、本来なら学校の方が合ってるのに、、、というケースも出てくるでしょう。だから個人的にはこのような形での業界の賑わいはあまり歓迎できません。


最悪なのが、学級崩壊している35人学級のうち20人がしぶしぶ学校に通い、3人が校区にあるフリースクールAに通い、2人が校区外にあるフリースクールBに通い、2人は私企業のオンライン授業を受け、8人はどこにも繋がれないまま。

みたいな状況になり、志の高い先生が「子どもたちのために」という理由からフリースクールを立ち上げ、人材が学校からさらに流出する。


このような状況に、「多様な教育」と「自己責任論」が歪な形で結びついて、「学校以外にもこんなにいろいろ選べるようになったのに、どこにもいけないのはあなたが悪いんじゃないの?」という考えが広まりだしたら、もう教育のディストピアです。


もちろん学校以外の教室や居場所が増えることは歓迎しますし、先生が独立されるのも自由です。

ただ、教員不足問題の解決を考えたときに、教員不足を放置したまま学校以外の居場所を拡充させることは公教育を民間に切り売りすることと同じです。



日本においては、教員不足を解消し、公教育の質を高く保ち続けることと、学校以外の居場所や教室を拡充することは同時に行われるべきだと私は考えます。「べき」というより、そうなって欲しいと願っています。


私が考えた教育のディストピアは、あくまで私個人の最悪な想像でしかありません。この未来予測はきっと外れるでしょうし、外れてくれた方が私も嬉しい。



私の知らないところで教員不足の解消に向けて水面化で文科省が動いてるかも知れない。私が教育のディストピアを憂う気持ちから選挙に行かなくても、もしかしたら大丈夫なのかもしれない。


でも、より確実に教員不足を解決し、起きないで欲しいことを起きないままにするためには、教員不足問題を政策に入れている政党に投票した方が良いと私は思うのです。


ですから、夏の参院選における私の争点の一つは、教員不足問題について言及しているかどうかになりそうです。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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