自己否定を解消して心を楽にする方法 その②
■自己肯定感という言葉の分かりづらさ
自己肯定感という言葉が知られるようになって、本屋にもそれっぽい本がたくさん並び、Amazonで検索すると、5000件を越える商品がヒットします。全部が自己肯定感を高めることに直接的に言及した本ではないと思いますが、たくさんあるなぁって感じです。
確かに、自分を否定せずに肯定するって、自己否定の対局にあるような印象を受けますし、きっと正しいことだよね、と思えます。「肯定」というワードも、否定より印象いいですしね。
でも、僕はこの言い方、誤解を生みやすいと思ってます。
自己を肯定するのは確かにいいように思える、じゃあ今日から自分も、自分のことを肯定していこう、そうすれば楽になる、もう自分を責めるなんてしんどいこととはオサラバだ、と思ってやってみても、なんかうまくいかない、ちょっと居心地が悪い、なんなら逆にしんどい……そんなにふうに感じてしまった人もいるかと思います。
今回は、前回の「自己否定を解消して心を楽にする方法 その①」に続けて、自己否定せず、かつ自己肯定感にも囚われずに心を楽にする方法について、お話します。
■肯定すればいいのか?
自己肯定感という言葉を、僕が最初に知ったのは、2018年の秋頃でした。
当時の僕は、それ以前からずっと続く自己否定がついに限界を迎え、メンタルが崩壊直前でした。本はたくさん読んでるほうだったと思いますが、から回っていたというか、アクセル全開にしながら、自己否定によってブレーキもベタ踏み状態だったんですね。前に進みたいけど進めない、タイヤだけが擦れてすり減っていく、言い換えると、心がすり減り続けて限界がきた、という状況でした。
そんなある日、どんな理由だったか忘れましたが、何か調べ物でネットを見ていて、自己肯定感という言葉に目が止まり、そこから少しずつ回復していくんですが、じゃあただ自分を肯定すればいいのかというと、残念ながらそれやると「また」しんどくなるんです。
なぜかというと、ポジティブに考えることと本質的には同じだから、です。
ん? ポジティブに考えるのって悪いの? と思いますよね。
悪いわけではないんです。むしろ、なんでも悪く考えてしまう人は、ポジティブを取り入れないとそれはそれでメンタル詰みます。
でも、ポジティブに考えればいい、というのと、自己肯定感をもとうっていうのと、どちらにも同じミスリードがあるのです。そしてそれが、僕が心をすり減らすことになった原因でした。
何かというと……
■自己肯定の罠
ネガティブなことが浮かんだら、
「いや、大丈夫、なんとかなる」
って考えたほうがいい、って思いますよね。
同じように、自分はダメだ……って思ったら、
「ダメじゃない。いいんだよ、俺は俺なんだから」
って考える。
前者がポジティブ思考、後者が自己肯定。
どっちも完全に間違っている……わけではありません。
でも、どっちも不完全なのです。
なぜかというと、どちらにも「受容」が抜けているから。
僕は昔、ポジティブに考えることが絶対的に正しいと信じていました。
なのでたとえば、
「運がないな……」
と思ったら「いや、大丈夫だ、俺はツイてる」って、ネガティブを上書きしてました。言い換えると、ネガティブを無視して、なかったことにしてた、ということですね。
これがマズイのです……
何がマズイかというと、その場しのぎになってるからですね。
いったん、運がないと思ってるんだな、と受け止めて、現在の自分の気持を受け止めてあげないと、どんなに言葉を換えても、
「でも運ないじゃん……」
って思う気持ちが残り続けるのです。そして、現実と感情の乖離が起こる。
そんなふうにして本当の感情を抑え続けることで、いつか限界がきます。
同じように、
「自分ってダメだな……」
と思ったときに、いや、ダメじゃない、いいんだ、などと無理やり肯定すると、
「でも実際ダメじゃん……」
という気持ちが残り、肯定しようとしてるのに実際にはできてないから、さらに「自分はダメ」という気持ちが大きくなって、逆にメンタルが病んでいく……という、
「頑張ってるのに病む」
という状態になるんですね。
だから、肯定なんてしなくてもいいのです。
代わりにこれをすれば、「結果的に」肯定できるので。
■肯定より受容
結果的に肯定できるのってなんぞや?
それは、さっきちょっと書きましたが、肯定ではなく、受容する、ということです。
肯定じゃなく、受容です。
全部受け止めてしまう、ということですね。
自分の良さも悪さも全部、受け止める。
そもそも人間って完璧じゃないし、完璧になんてなれないし、完璧って自分が思っても他人から見たら完璧じゃないかもしれないし、追っかける意味がないのです。
だから、いったん全部受け止める。
たとえば、人間の性格って、半分は環境で、半分は遺伝子で決まるそうで、ってことは半分は変えられないってことになります。分かりやすく言うと、内向的な人が、外向性マックスな人と同じようになるのは無理でしょう。
社交性は身につけられますが、同じにはなれない。でも世の中的には外向性が高いほうがいいと思われやすいので、外向的になれない自分を責める……ってことが、内向的な人だとありがちかと思います(僕も内向的傾向が強いので分かります)。
そこに対して、自分はダメだとか言っちゃうのは、自分がかわいそうじゃありません?
変えられない部分に対して、それがダメだって言われたらきついですよね。
たとえば鬼上司が、
「おまえの耳の形が気に入らない。なんで変えられないんだ!?」
って言ってきたら、いや、そんなこと言われましてもどうしろと……ってなりますよね。
「何いってんだコイツ(上司)……」っていう話ですけど、自分の性質に対して頭から否定するのは、それと大して変わりません。
でもじゃあ、
「俺はこれでいいんだ!!」
って無理に思い込もうとしても、なれません。
だから、受容なのです。
自分の性格、性質を、こういうものだと受け止めて、その上で、じゃあどうしようか? と考える。
たとえば、内向的な人が外向的な人になるのは無理だとしても、内向的な性質……人を観察したり、共感力を発揮したり、相手の話をしっかり聞いたり……といったことを使おうと考える。
自分の性格や性質を、世間の基準で否定するのではなく、受け止めて、使い方を考える。
コミュニケーションが苦手なのではなく、外向的な人とはコミュニケーションの取り方が違うだけ。
自己肯定なんて意識しなくても、自分という人間を受け止めるなら、無駄に自分を責めて落ち込むこともなくなるという、自然な流れを作る、という感じです。
■まとめ
自己肯定感を高めようと考えると、逆に落ち込むこともある……
というわけで、自分の良さも悪さも受け止めて、使い方を考えるのが一番ではないでしょうか、というお話でした。
自己否定で苦しんでいた僕は、自己受容で救われました。
自己肯定感! と力まずに、これが自分だと受け止めることで、自己否定しなくなります。
無理に肯定せず、否定もしない。そのバランスが一番楽ではないかと。
それでも、自己肯定しなきゃ! と考えてしまったり、ついつい自己否定してしまう方は、↓をオススメします。
まやかしのポジティブ(別サイトへ飛びます)
ポジティブに考えればいいってもんじゃない、かといって自己否定もダメ、じゃあどうすれば? というのが分かる物語です。
プロローグはどなたでも読めます(noteでも公開中)。
第1章は会員登録が必要ですが、無料会員で読めます。
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