「瞑想」が多様化した
前回は、仏教教団が、
「原理さえちがわなければ、破僧とは言わない。」
という合意の下、様々な解釈を行う集団、
いわゆる「部派仏教」というものに
サンガが変化してきた経緯を説明しました。
そして、その原理とは、おそらく「瞑想」が、
あくまでも中心にあったであろうということが想像できます。
そのうち生まれてきたのが
「出家しなくても瞑想できる」には
どうしたらよいのだろうか。という発想です。
この発想には、当時のインド地域の社会情勢がありました。
アショーカ王の治世の頃は、平和な時代が続き、
サンガの修行者たちは十分な布施を受け、
瞑想に専念する事ができたのですが、
王の死後、インドを統一していたマウリヤ朝が衰退に向かいました。
特にブッダガヤのある北インドは異民族の侵入が激しく、
世が乱れ始めました。部派仏教のいくつかの派閥は、
布施を受けて、瞑想に専念できるような豊かな国を求め、
南インドやスリランカ、東南アジアの方に向かい、
保守的な修行を続けることを追求したのです。
これが「上座部仏教」に発展します。
一方のいわば「進歩的」な部派仏教の一派は、
「出家しなくとも瞑想をして、ブッダになれる」
方法や考えを現実に合わせて模索していきます。
そこで生まれた考えが「即身成仏」という考え方です。
これはどんなことなのか簡単に言うと、
たとえば「上座部」のもとになった保守的な部派仏教であるならば、
瞑想などの修行は、「ブッダになる」という事が目的でした。
修行によってどのくらい「ブッダ」に近づくことができるか。
が目標になります。
それに対して、この考えは、
「人ははじめからブッダになる素質を持っている。」
という発想です。ですからその修行とは、
「自らの仏性に気づく」ということになります。
このように考えると、この世には無数のブッダがいて、
釈迦牟尼仏はその一人である。
という解釈になります。
すなわち「仏性に目覚めた人」という論法になります。
ですから、別に出家しなくとも、
たとえ在家信者であったとしても、
それに気づく方法はいくらでもあるのだ。
という論理になるわけです。
その第一は「瞑想する対象」の多様化でした。
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