人がはまるものは、満たされない恋(したこころ)
人が集まると話題になるのは「色恋」
噂の99%がこれにからむというのは言い過ぎているとは思えない。人は色恋が好きだし、いくつになっても満たされないのは異性への渇愛なのかも知れない。これは、人が生きている以上どうしてもついてまわるものだ。
これを満たすために必要となるのは、やはり先立つのは「金」である。
世のおね~ちゃんをはじめとして、オバサン、いやいやば~さんに至るまで、ビンボ~な男なぞ相手にはまずしない。ましてや金のないオヤジなんかには、見向きもしないものだ。
そこで、歓心を買うために特にオヤジは「お金」がいるのだ。
これは、たとえ女であっても同じ事、女はオヤジから巻き上げたお金をせっせとホストに貢いでいる。オバサンも借金してまでホストに貢いでいる。でなきゃ「韓流」だ。
愛への渇きを「金」で満たそうとしているのだ。
世の中のトラブルのほとんどが、この二つにからんで起こっているのは事実である。
これは、これであたりまえのようにあることだし、これが尽きて無くなってしまうということは決してない。人が人としてある限り自然なこととして起こりうる。
だから、中高年になっても、色恋沙汰は起こるのだ。だが、ある程度になると、オヤジやオバサンは限度が無くなるから、暴走することもあり、みっともないことこの上ない。
えらそうにものをいう人は、これ(欲)をなくすことがいいことなのだという事をまことしやかに言っているものもいる。しかし、一切の欲を断ちきるには、死ぬしかない。この欲はいいけど、あの欲は良くないなどという分別もできるはずはない。
そもそも欲にはいいも悪いも無く、ただ「欲」としてそこにあるからだ。
これに妙なものをつけると、いろんな分別が起こる。
意欲、食欲、睡眠欲、性欲、物欲、支配欲・・・・・・・。
人は、欲に支配されるのではなく、この分別自体に左右されて苦しむのだ。つまり、欲そのものはそこにあるものとしてとらえればいいのだ。
この欲を肥大化させ、エスカレートさせるのは、この欲にとりついた分別のもとである。
ただ、欲は欲として単独には見えないものである。どうしてもこういう分別のもとはついてしまうのは仕方がないことだ。
欲を欲として大切に保ち、大きくしないよう「少欲」を心がけ、コントロールできる大きさで欲を「飼う」ことだ。同じネコ科でも、ネコは手に負えるが虎は手に負えないだろうから。
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