浦上咲を・・かたわらに δ (delta)
Episode4 時代
朝のまどろみの中、四畳半の薄っぺらい布団がその部屋の大半を占拠していた。
その僅かな空間に置かれた灰皿と読みかけの文庫本。
そして、なによりも優しい自然なぬくもりの咲が傍らに寝息を立てていた。
そんなデガダンきわまりない状況の中。僕は彼女のぬくもりを逃さないようにそっとうつぶせになりながら、枕元のハイライトの小箱を探り、その一本をくわえて火をつけた。
緩やかな紫煙が、雨戸の隙からもれる光に映える。
光は紫煙によってさまざまに形を変えながら外界のまぶしさの僅かな情報をこの狭い四畳半に伝えていた。
「・・・・・お・・・。」
僕は、その一条の光の行方に思わず見とれた。
その光が、小さな布団にくるまれた咲の白い裸体の僅かにめくれたその毛布の隙間から垣間見えた柔らかな胸を、まるでスポットライトのように照らしていたからだ。
僕はその神々しさにしばし心奪われた。
「センパイのえっち・・・・。」
咲が、目をつぶったまま小さく呟いた。
「起きてたのか?」
「ううん、まだ寝てるよ。」
「・・・・・。」
「起きるから目をつぶって。」
「なんで?」
「恥ずかしいからだよ。」
安普請の下宿屋の部屋は、確かに雨戸を閉めても光はかなりもれていた。だが、こんな時間に雨戸を閉める理由もない。時刻はとうに10時を回っていたからだ。
「こんな時間にハダカでいるなんて、初めてだわ。」
咲は小さな文句を言いながら、ごそごそと身支度をしていた。
「もうこっちむいていいですよ~、センパイ。」
「あ、・・・うん。」
僕は振り向いた。
「・・・え?」
咲は、シーツだけを身体に纏って、そこにちょこんと座っていた。
「う~ん、やっぱりセンパイはエッチだなぁ。なんであたしをそうじろじろ見るかなぁ?」
「それはだなぁ・・・」
僕は少し焦った。咲はけらけらと笑った。
「あはは、なんで照れてるのかわかんない。だって、あたしは昨夜センパイにしっかり晒してるのに・・・。」
たしかにそのとおりだ。
不思議なものだ。
すっかり晒されているときと、肝心なものを隠されているとき、しかも、それが見え隠れしているような微妙なときというものは、妙にそそる。
それは、「欠け」の大事さなのだ。
物事は完全であっては、もうその先はない。
悟ったことは悟ったことにならないということなのだ。
つまり、完成なるものの否定。このことは諸行無常という言葉で表せる。
完成とは、次の瞬間滅亡に向かって針を進めるものなのだ。だから、完全な現象から見たら、物事はすべて不完全であり、常に生滅を繰り返すものなのだ。しかも、生滅を繰り返すがゆえにそれは完成されているものなのである。
「おごれるものは久しからず、たけきものもつひには滅びぬ。
ただ、春の夜の夢の如し・・。ってかんじ?」
咲は小首をかしげながら僕の顔をのぞき込んだ。
「諸行無常ってやつだね・・・。回る回るよ時代は回る、喜び悲しみ繰り返し~、っていうようなものカナ?」
シーツにくるまったまま、蘊蓄をのべる咲は妙な色気があり、僕は目のやり場に困っていた。
咲はいたずらっぽく僕を見上げながら、意味深なことを言ってくる。
「人というのはね~、やっぱ、自分の心の中から抜けないもんだとおもう。」
「へぇ、そのこころは?」
「こころは?ってきかれても困るけど~。」
咲は、その裸体をシーツにくるませたまま、中空を見すえた。
「センパイが今考えているあたしっていうのと、実はそうでないあたしっていうのがいるんだけど、本当の本当を考えると、絶対あたりまえなことがそこにあるって事だわ。」
すごく難解だった。
僕は悩んだが、咲は何となく妖しげな目で僕を見つめていた。
咲を抱きたい衝動が稲妻のように走った。
僕の手は、咲をくるんでいたシーツの端をつかんでいた。
咲は抵抗もせず、笑みを浮かべながらなすがままになっていた。
僕は、そのシーツを一気にはぎ取った。
「きゃっ」
咲は小さく声を上げた。
「・・・え?・・・」
次の刹那、僕の方がかたまってしまった。
僕は、そこにてっきり一糸も纏わない咲がいるものだと確信していた。
ところが、そこにいたのは、タンクトップとホットパンツ姿の咲。
咲はいたずらっぽく笑う。
「あはは~、驚いた?」
「まぁね・・・。」
僕は咲にすっかり下心を見抜かれてしまったような感じがして何となく複雑な思いにかられた。
「ねぇ、センパイ、もしかしてあたしがハダカでいたと思ってたでしょ?」
「まぁね・・・。」
「あはは~、うまくいったぁ。」
僕は、少し不愉快だったが、そこで1つ解ったことがあった。それは、「ものごとは、人の思いや心が作る。」ということだ。
僕は、シーツの下に隠されているものは、服を着た咲ではなく、ハダカの咲であるとずっと自分の心の中にその事実を作っていたのだ。
ところが、事実としてそんな咲はどこにも存在しなかった。
しかし、そんな思惑とは別に咲は咲として、そこにある。
ところが翻って考えるとどうだろうか。ぼくは事実を知ってしまった今と、知る前のシーツにくるまった咲を見るのと、心としてはどちらが幸せな気分だったのだろう。
何もかも見えてしまうことは、本当に幸せなことなのだろうか。
そこで、「不翻」という言葉がふと浮かんだ・・。
不翻
これは、あえて意味を知らずともよい
こういう事なのだ。たとえば、密教で言う真言や陀羅尼とか言うもので、意味などという人のはからいなど捨て、ただその真なるものを観じよ。とでもいうことだ。
つまり、シーツの中の咲は裸体だと観じたのは僕の頭の中でのことで、本当にそうなのかどうかは判らない。ただ、そうであろうと言う自分のこころで分かったことなのだ。
ところが真実はシーツの中は着衣の咲だった。
まったく違った真実がそこにあったのだけれど、よく考えれば着衣の中の咲はある意味「裸」である。
しかし、裸でないと観じた心は、シーツに囚われた結果であるに過ぎない。
つまりは、そもそも咲は裸なのだ・・・。
それなのに、二重の思惑をそこに載せたから、迷いが生まれる。
あえて、意味を問わずとも、そこに言葉以上に感ずるものがあっていい。 それが不翻の真言なのだ。
「おん あぼぎや べいろしゃのう まがぼだら まにはんと ま はらぱりたや うん」
咲が笑った。
「なに?それ。」
「咲を最高に褒め称える呪文・・・・かな?」
「あはは、なんだかわかんないけど、何か嬉しい。」
咲は、すっと窓際に立った。その姿は光を浴び、まぶしく神々しく見えた。
人は、こんな瞬間に、自分ではどうにもならない「何か」を実感するのかも知れない。