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人って、なんで死ぬんでしょうか? そういうあどけない問いに答えたこと

 以前、あたしが扱っていた「ナマモノ」のお嬢ちゃんから、実にホントに、あれ?どうやって答えようかね~・・・・(ㆀ˘・з・˘)
 という、まさに公案を突きつけられたんでございます。しかも、ホントにあどけない顔でですよ

 人って、なんで死ぬんでしょうか?・・ ( ・0・)ノ

・・・ 即座には、答えられませんでした。

「うん、なんでだろうね~~・・(^0^;)ノノ 」

 が、精一杯でございました。っていうか、ここですらっと答えられる方が、むしろ胡散臭いのでございますよ。

 まぁ、よく訊いたら、ついこないだ、お婆ちゃんが亡くなったそうで、ホントに素朴にそう感じたんだという事だそうでした

「誰も死ななくなっちゃったら、人口爆発しちゃうからね~。/(^0^;)」
  そのせいか、こんな感じにテケト~な答えをしちゃいました。

でも、これは正解ではございません・・・。(  ̄3)ノ

 本当は、「この世のすべてのものは、例外なく生き死にを繰り返す(生滅流転)もの」で、人もその中にあるからなのでございます。

 ですから、今回は道元禅師の「修証義」をひもときながら、このお嬢ちゃんに対する解を述べていこうと思いますので、今回お付き合いください。

「修証義」に沿って、答えてみると

 生まれるとか生きるとか死ぬとか、そういう命の不思議を知りたいという事は、とても大事な事だと思いますよ。これは、人が生きていくうえでとても大事な課題だと考えていいんです。

 この世界はたくさんの命のかたまりであって、自分もそのかたまりの一つで、たまたま今この命があるんだと思ったら、自分は大きな命の中にある一つなんだね。
 だから、死ぬんじゃなくて「眠る」って考えたら、次の朝には違うものになって目覚めるんだって考えれば、死ぬってそんなものじゃないかと思えてしまいますよね。

 ところで「人」に生まれるってことはすごく稀なことで、ましてや、命というものを理解する機会や、思いを巡らす機会なんてもっと稀なことなんです。
 ですからね、ありがたいことにこの地上に生を受けたし、そういう疑問を持てたという事は、命という課題に出合った事なんだから、そら~素晴らしい事だと思いますよ。まず、あなたはそういう考えが持てたことに感謝することです。

死ぬことを考えることは、生きることの意味を考えることです。

 世界は無常で頼りないものなのだから、自分の命は自分ではどうにもなりませんし、年月は素早く移り変わっていくものなんです。だから、済んでしまったことはもう戻らないし、死ぬ時はたった一人でいくものなんです。

 もし自分がそこに持っていけるものといえば、ただ自分が作った善と悪の行ないの結果だけです。

 ですから、この事をまったく考えないで、自分がした報いを考えない人や、過去現在から学び未来を思えない人、そして善悪をわきまえないで、すき放題やってる人とは群れない事が大事です。

 自然や歴史はおおきなうねりの中で動いていて、誰もがそれに沿っているのです。
つまり、悪をなせば必ず地獄に落ちて苦しみ、善いことを最後までやれば、必ずむくわれるのです。
お金を持ってようと、持っていまいと、身体が強かろうと、弱かろうと関係なく。

そして、善悪の報いには3つあります。

一つ目は今生きてる中で受ける報い
二つ目はそのあと、そうだね子供達が受ける報い
三つ目はそれ以降、そうだね子孫が受ける報い

 たとえば、勉強をすることとは、この正しい事とか良くないこととかを知ることなんですよ。
 そうでなければ、多くの人は誤って間違った考え方を持ってしまう。ただ間違った考えを持つばかりでなく、そのために、だまされて、とんでもないことに陥ってしまって、長い間苦しみを受けることになるんです。ここまで言ったのは、あなたが生きているという意味です。では、人はなぜ死ぬのかというと。

 あなたの人生は二度とないので、無駄に人生を過ごすことがあってはいけません。悪いことしながら 悪いことじゃないと思い、それをやったことに関して、報復がないなんて自分勝手な考えをしては大変な事になるんです。これを肝に銘じなければなりません。死ぬと言うことは生きることの〆切りなんだと考えてください。

 人は、死ぬという期限を作って、「力一杯、正しく生きなさい」という課題を持っているんです。でないと、人生という作品の質は上がらないのですよ。

 だからこそ、人は死ぬし、生まれるし、生きていくんです。

という答えになりました。

あたしのブログ、過去記事からの抜粋に一部加筆しました。某首相のようにカットしてません。

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