安楽死は誰も不幸にしない
簡潔に安楽死と書いていますが
自殺幇助が合法になる事も同義と考えています。
安楽死について感情や心理、幸福といった観点から
安楽死を導入する事が高齢者や若者にとって幸せである。
という事をまとめてみました。
【1.自分の死生観】
僕は中学2年の時に体調不良で不登校になり
それが仮病だと思い込む父親に軽蔑の目で見られて
父親の意見を聞いて半信半疑な母親の心を感じて
絶対だと思っていた親にすら信じて貰えなくなった孤独感から
死を深く考えた事があります。
思い留まったのは
生きたいと願った人が生きれなかった中で
生きる事のできる自分が死を選ぶ事は冒涜であるという事と
「生きていれば誰かを助ける事ができる」という真理でした。
命を懸けて行動を起こせば自分のように苦しむ人を助ける事ができる。
例え、親が認めてくれなくても
誰かが心から喜んでくれる何かが自分にできたなら
自分で自分を認められるのではないかと思ったのです。
衰弱し、歩けなくなり
自立して生きていく事が困難になった自分が
「働いて何かを生み出せる人間」に介護されて生き延びるというのは
その真理に反する事で
そうなるぐらいなら、僕は死を選びます。
【2.長寿前提が生む後悔】
永遠に生きるように学び、明日死ぬように生きろ
僕はこの考え方が好きでした
しかし、永遠に生きると思っても
人が集中して学べる時間というのは限られています。
だからこそ、明日死ぬと思ってやりたい事をやる事で
心の思うままに生きて、後悔の無いように生きれる。
その繰り返しが人生を豊かにする。
そういった意味であると僕は解釈しました。
日本では80年という長い年月を生きる前提で話が進みます。
ですがスポーツ選手を見れば分かる通り肉体の全盛期は20代で
30代以降に肉体の運動能力が向上する事は滅多にありません。
生殖機能も同様であり
肉体というのは植物に例えれば
40歳の時点で痩せ細って枯れて始めているような状態です。
肉体的な寿命を考えず経済面ばかり重視して
学歴の為に若い時期を注ぎ込む事が正しい世の中には
長生きできる人間が多い一方で
若くして亡くなる方も居て
長寿の前提が作る後悔というのは
どれだけ多く存在するのだろうと思います。
若者の自殺というのも、死を決断する時は絶望に満ち溢れて
全てがどうでもよくなるものです。
ですが、死の直前に新しい人生を思い浮かべた時
生きていれば、別な道を歩めたかもしれない。と思うものです。
肉体が自由に動き続ける限り
人は、どんな道だって選べるのです。
ですが、長寿は経済的な苦しみを永遠のように感じさせます。
【3.介護されている人は幸せなのか】
長寿の根源でもある介護や延命治療をしてくれるのは
自分の親や子供ではなく見ず知らずの人間で
そこにあるのは「金銭的な繋がり」
自分が金になるから、生かされている。
もし、安楽死が選べたなら
人生の最期を、愛する人達が悲しみながらも見送ってくれる。
「死なないで」と心から言って貰える。
子供や孫のような未来を生きる子供達に伝えたい事は
ビデオレターや手紙にまとめて
本当に大切な事や愛を伝える事ができる。
笑顔のまま最期を迎えられたら
それが1番の幸せでしょう。
「会った時に言えばいいや」
「小難しい事を言う雰囲気じゃないな」と先延ばしにして
脳が寿命を迎え始めて記憶が飛んだ高齢者は
どこかで後悔を抱えたまま
介護される中で過去を見失って生きていくのではないでしょうか。
僕の曾祖母は100歳近くまで生きましたが
会う時はいつも、笑っているだけで何も教えてはくれなかった。
ボケ始めてからはベッドに寝た切りで
脳の機能が正常でないのに、歩く事も難しいのに
生かされている曾祖母は
まるで実験動物のようだった。
家族に介護されていた曾祖母にさえ、そう思うのだから
介護施設に家族を入れたいと僕は思わないし
ボケたり寝た切りになって
死を望むのであれば介錯してあげたい。
自分なら、それを望むからだ。
そして、ボケている人間に共通するのは
時々、元に戻るという事。
それはつまり生きながらに脳機能の低下によって
自分の意思を保てないという事。
それは生き地獄を与えているような印象を受ける。
不自由に囚われ生き続ける人間は本当に幸せなのでしょうか。
【4.医療利権という無駄】
https://www.asahi.com/amp/articles/ASN7Y73QNN7YUTFL003.html
医者は上辺では正義感を口にするが
真意は「老人や慢性疾患の患者は金になる」
適度に壊れやすい人間というのは
薬を定期的に処方する事で半永続的に金を稼げるので
医者は軽度で慢性的な症状を薬で「抑える」
つまり、「根本的に治そうとはしない」
これは実体験で深く感じてきた事で
下記のnoteに体験談をまとめてあります。https://note.com/hide_fb/n/nff6f164ecf81
コロナ禍で露呈した「異常に多い病床数」と
「少な過ぎるコロナ患者用の病床数」
https://www.medius.co.jp/asourcenavi/numberofbed/
日本の医師の数は、人口1,000人当たり2.5人で米国の2.6人と同程度。
しかしながら、民間の医療機関が多過ぎる事が原因であるという事を
この記事は言葉では示さずとも、データで示している。
僕自身の体験としても
中学の頃には胃痛の原因を解明する為に
5件ほどの民間病院を回って原因不明と言われ
公的機関である日本赤十字社の病院で胃が殆ど動いていない事や
立ち上がった時の血圧を計測して
自律神経による血圧のコントロールが上手くいっていない
起立性調節障害だと原因を突き止めて貰う事ができたし
民間の消化器科医には長期に渡る血便や胃痛を訴えたら
「若いから大丈夫」と言われ、病状は悪化したり
長年苦しんだ慢性蕁麻疹では
民間の皮膚科医は薬を処方するだけだったが
ツルハドラッグの薬剤師に「胃腸が原因の免疫異常ではないか」と
教えて貰って薬を減らす事ができたし胃腸も改善しつつある。
手のひらをナイフで刺して薬指が動かなくなった時は
医療法人という立派な建物の民間医療機関様が
手術不可や、手術後翌日に半強制的に退院させくる等
たらい回しにして苦しめてくれた。
金で動く「民間の医療機関」は役立たずだ。
とある政治家も言っているが
「医療に興味が無くても大した医者にならなくても、医者になれば稼げる」
(動画リンク)20:15~
https://www.youtube.com/watch?v=FPGIQ79YcSQ&list=PLX6nFJEyc6PWnjwCR5b8UunB48JvgRLQD&index=11&t=1242s
日本経済を苦しめている原因があるとすれば
機械を運用して結果を判断するだけの施設と化し
治りづらい人間に症状緩和の薬を処方し続ける事で税金を回収する
病気や医療の本質を考える事ができない民間病院だと思う。
安楽死が、人々に望まれない医者を潰す可能性は高い。
人は痛みや苦しみに耐え続ける事ができないから
逃げ場を求める。
それが現代では医療しか無い。
自殺をすれば家族の世間体に傷が付くから
年を取るほど、自殺は選ぶ事が難しい。
【5.長寿が引き起こす不安とマウント社会】
マウントという言葉が流行するように
何かと、優劣を付けたがる人間が多いのを感じます。
この傾向は僕が小学生の頃から感じていて。
「勉強できるなんて凄いね」と執拗に言う同級生の親が不思議でした。
恐らく、親の介護だったり
誰かに支えて貰わなければ生きていけない老後の自分を
思い浮かべたのでしょう。
平均的な給与ではダメだ。と
自分以上に育てる事を望んだ親は
ペットに「よくできたね」と褒めるように
子供に「勉強できる事が凄い」と刷り込ませる事が
正解であると思い込んだのかもしれません。
僕の従姉妹もそうでしたが
ペットのように育てられた子供ほど
言ってしまえば、卑屈で
何かと優劣を付けたがるようになると感じます。
それは「勉強」という「明確な優劣」の恐怖から逃れたい
心理現象だと思います。
僕の母親は「金が無くなったら迷惑掛けずに死ぬよ」と言うし
教育も「ダメで元々」の精神だったので
僕は競技性の低い不平等な物で優劣を付ける思考がありませんでした。
短い生涯だと割り切れば、裕福さなど要りません。
【6.安楽死を望む若者】
もし、安楽死を導入するとして
それは若者にも与えられる権利です。
若者の自殺率が先進国で最も高い日本では
様々な理由を持って安楽死を望む若者が出てくるでしょう。
僕の親友は、長男で責任感が強く
学費が高い私立の中高に通っていた中で
志望する大学に受かる事ができず
「誰にも迷惑を掛けずに死にたい」と言っていました。
安楽死制度を導入すれば
若者が何故自殺を選ぶのかが、はっきりするでしょう。
そこで国が人々の心と向き合って
政策を考えていけば、この国は良くなります。
反対に、目を背け続ければ
絶望した若者は どこかへ自由を求めるだけでしょう。
【7.現代的倫理観】
安楽死は「人を殺す事だ」と言う人が居ます。
人が物質でしかないなら正しいと思います。
ですが、人間には心や魂という概念が存在していて
僕は「喜怒哀楽という感情こそが人間だ」と考えています。
一見矛盾していると思うしれません。
ですが体を殺せば、心も殺せる。という一方で
心だけを殺せば、肉体は生き続けます。
事実として僕自身の心が壊れた時の体験談を
以下のnoteにまとめてあります。
https://note.com/hide_fb/n/n461f7120c1ca
人の根源である心や自由を奪って生き地獄を与える人々が
体だけを生かして、心を殺していないと言い切れるのでしょうか。
【8.自分が考える安楽死制度】
まず前提として、安楽死を積極的に実行する必要は無いです。
肉体的に自立して生きていけない人間が安楽死を選択できて
精神的に自立していない人間は国が補助する。
安楽死希望者が役所に申請して
それを役所や下請けの会社が審査して
「寝た切りや、働く事が困難な
肉体的な生命活動が低下している人」か
事前に「アルツハイマーやボケのような症状が発生したら
安楽死を望む。という誓約書を書いた人」に限って審査を通して
直接の話し合いを設けた上で本人の同意
ボケている場合は家族、第三者として医師の同意があれば
安楽死を認めれば良いと思います。
申請可能な人間は全年齢が対象です。
それは「死にたい」という感情に
国が他の選択肢を与えられるような制度の根底になると思うからです。
いじめや虐待の相談とは違って
死ぬつもりで対話する事になるので
問題点を表面化させる事ができます。
「常識」や「普通」が幸せを作り出すとは限らない事を教え
子供たちが幸せに生きて、日本で生きたいと思えるような
そんな、基礎を作り上げる事が大事だと思います。
例えば、学問が多くの仕事を可能にさせるのと同時に
日本にある優れた宮大工や、漫画のような文化には
木の数百年後を見たり、線による想像の中にしかない表現であったり
美学のような、感性に近い
学問ではない物が必要な側面もあります。
生きる希望が無いのであれば
本人のやりたい事から長所を作り出して
それを社会に活かす方法を考えていく方が大事ではないでしょうか。
教育の行きつく先は
グローバルにすればプログラミング等、英語が基準になって
アメリカに住む方が有益になって
優秀な人間がどんどん流出する事が絶対的な一種の植民地状態で。
日本らしさを突き詰めて、伝統を大事にして
それを海外の人に買って貰うという事に力を入れるというのも
1つの教育手段だと思っています。
勿論、抜本的に変えろとは思っていませんが
学問だけが正解という「思想」の問題が現状は大きいなと感じるだけです。
話が逸れましたが、安楽死制度の費用は
医療利権の税金を回せば可能だと思います。
結果的に大幅な節約と、国民の幸せ
薬に頼らない本質的な健康を得られるでしょう。
【最後に】
このnoteについては
あくまでも1つの意見であって
僕自身は決して自分が正しいとは思っていません。
というのは
自分(達)が正しいと優劣のような答えを求める人間が多い事に
うんざりするからです。
物事を大きな面と小さな面で理解していくと
どうしても「分からない」事が出てきます。
日本の問題について考えてみても
1億人が持つ個々の心理を全て把握する事など不可能です。
今回の問題について僕が行ったのは
「見えない物に対しての認識」という所です。
「人は何故生きるのか」という問いに対して
人々は小さい面で考えて、趣味や好きな物を理由にすると思います。
でもそれは大きな面で見ていけば
「嬉しい」だったり「楽しい」という「感情」で
人は感情で生きる生き物だ。という答えが出せます。
それこそが物事の本質だと捉えて考えていきました。
ですがこれは小さな面の1つである「僕」の中の認識です。
世間一般がどう思うかは分かりません。
利権を潰す事を拒む人が理不尽に否定するでしょうし
表面だけを見る人が多ければ正統な判断というのは難しい物です。
そして、そういった「概念」の棲み分けをせずに議論して
平行線を進み続けるのが日本の政治なのかなという印象を受けます。
同質性の概念とは
諸事物の間の類似点や一致点に着目して「種」を把握し
同じようにしてこれらの「種」を「類」に
そして「類」を「族」に統合していって
ついには全てを包括する最高概念にまで到達する事を命ずるものである。
「引用元:ショーペンハウアー全集1、13p」
「安楽死」という言葉から
どれだけ大きな面で考えて、どれだけ小さな面で考えるのか。
というのは難しい問題に見えて
問題点を1つ1つ紐解いていけば
辿り着く答えが確実にあって
「簡単な答え」ばかり求めて
そこから目を背けていては何も解決しません。
「安楽死」と同列の概念である「自殺幇助」
これは戦国時代にあった切腹と介錯のような仕組みですが
腹を自ら刺し、苦しみながら数時間後には死ぬ事を選んだ人に
介錯という方法で「楽にしてあげる」
そういった自殺幇助が合法になる事も
1つの解決策だと思っています。
そして、諦める事と
何もできなくなる事は全く違います。
人生を諦める為の安楽死ではなく
何もできなくなった人生への終止符を打つ安楽死。
それは許されるべき事でしょう。
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