離れたいのに離れられない話。 23.4.3
今日も今日とて
永 久 凍 結 。
ふと思ったのだが、なぜここまでツイッターの運営にお願いを続けなければならないのだろう。
つぶやくだけであれば、別にどのSNSだって構わない。前にも書いたように。
それに、今のツイッターは(ツイッターに限らずSNS全体に言えることだが)、罵り合いにマウントの取り合い、悪口・皮肉合戦に暴露・陰謀論と、殺伐とした雰囲気が漂っているのは否めない。
なのになぜ、ツイッターにこだわるのか。
それは、やはり桁違いの影響力。
noteやブログでもまったく同じことを書いているのだが、やはり閲覧者が極端に少ない。
一方ツイッターは、バズれば注目を浴び仕事につながる可能性もあるが、炎上すると袋叩きに遭う。
全員――少なくともいまフォロー関係にある方々が、いっせーので別のSNSに移動すれば問題はないのだが、まだその可能性は低いだろう。
となると、まだツイッターでやってかなければならないってことかぁ……。
まぁ、ヤりたくてもヤれてない状況なんだけどね。本アカウントでは。
今でも思い出すのが、突然ツイッターの運営から来た「ご利用のTwitterアカウントは凍結されました」というメール。
道を歩いていたら突然背中を突き飛ばされて落とし穴にハマり、誰にも気付かれていないような感覚。
ただ、普通につぶやいたり、時には交流する目的でツイッターを楽しんでいただけなのに。
――と、ここまで書いたところで、再びの「対応打ち切り」メールが。
これもまた前回同様、運営から他のユーザーにも一斉送信されたらしい。
ただ、僕のように一貫して解除を拒まれているユーザーに送り付けるならまだわかるが、
すでに凍結解除されたユーザー(複数アカウントで異議申し立て)にまで送っているとなると、永久凍結処分画面の
「慎重に審査したところ」
の一文がどうにも薄っぺらく感じてしまう。
そして、この運営の不手際をほかならぬツイッターで検索できるのだから、なんとも皮肉。
この「エンドレスゲーム」、今後も続けなければならないのだろうか。
正直、これ以上運営にもてあそばれるのは嫌だし、僕ごときのアカウントが戻ったところで、喜んでくれる人はそんなにいないだろう。
けれども、13年間毎日つぶやいてきた「歴史」はやっぱり取り戻したいのよねー……。
もうメンタルはボロボロだが、それでも再々度の異議申し立てをさせていただく。
ここ(サブアカ)でのつぶやきはまだまだ続きそうではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。