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追悼・瀬戸内寂聴先生 21.11.11

僕が「瀬戸内寂聴」という存在に興味を持ち始めたのは、中年期に入ったころだ。

大学時代、湾岸戦争の停戦を願いハンストしたという記事を雑誌で見て、「へぇ」と思ったのが、彼女の名前に触れた、初めてのときだったように記憶している。
もちろん、それ以前にも彼女の名前はどこかで見ていたのだろうが、いわゆる「女流作家」の一人としてしか認識はなかった。

それから20年以上の時を経て、突如僕の中で「寂聴ブーム」が勃発する。
はっきりとした記憶は覚えていないが、まず東日本大震災の直後、被災地を訪れて「青空説法」をした番組を見たこと。
また、京都嵯峨野のご自宅兼寺院「寂庵」で満員の来訪者を前に法話をし、客が爆笑するというCMを繰り返し見たことがきっかけだったと思う。

その後、法話CD・DVD、悩み相談CDなど、次々と入手し、「寂聴沼」にどっぷりとハマっていく。
それが高じて、ついにはご本人に会いに、直接寂庵まで伺ったことがある。
当時のことは、旅行記としてはブログでも書いているが、先生の名前を出すのも失礼だろうと思い、割愛している。(一部アダルト系18禁バナーあり)

あらためて記憶を思い出しながら書くと、本来、寂庵に伺って法話をお聞きするには、往復はがきを出して当選する必要があるのだが、この4月8日はお釈迦様の誕生日であり、当日に限り寂庵を無料開放していた。
その日に合わせて、僕も飛行機のチケットを取り、伺ったわけである。
当然ながら堂内は満員で、僕は、最後列で玄関に落ちそうになりながら、寂聴先生のご尊顔を拝見し、法話を拝聴した。
ただ、記憶に残っているのは、某文化人が起こした不倫に絡めての発言、「(不倫相手が)五人いれば(本当は)十人いる」だったが……。

その後、美人秘書の存在もあり、世の中的にも「寂聴ブーム」が訪れたことは、みなさんもご存知だと思う。

おまかせ録画機能のキーワードに「瀬戸内寂聴」と入力し、チェックするのはもちろんだが、法話CDも繰り返し聴いていた。
尼僧である以上、死(後)についての話も多くするが、60代の頃から「(自分が)今日の晩死ぬかもしれない」とおっしゃっていた。それは、世間的に非難されることも含めて、自分の生き方を貫いてきたからかもしれない。
もちろん、うちの親も含めて、それを認めない人も少なくはないだろうが……。

法話CDの中で、こんな発言があった。(うろ覚え)

「死後の世界とは『こういうものだろう』と言われているが、私は死んだことがないから、それが本当かどうかはわからない。もし、私が死んだときには、生きている人の足をくすぐるなり、ファックス的な機械か何かで、『死後の世界はこういうものですよ』と教えてあげたい」

そうであるとしたら、僕の足もくすぐってくださるだろうか。

うーん

面識がないから、多分無理だろうが。


先生のお話によれば、今ごろ三途の川を渡り、向こうの世界に行った人たちが出迎えて、盛大な歓迎会を行っているそうだが……。
残念ながら、それを知る方法は、今のところまだ開発されていない。


法話CDは聴き入ってしまうので最近は聴いていなかったが、また聴き始めることにしよう。

そうそう、去年拝見した寂聴先生のライブビューイング配信で、「苦しみが伴ったとしても、人を愛したほうが『生きた』という実感がある」と、おっしゃっていた。いずれ死にゆく自分の言葉だから、重く受け止めてほしい、と。

僕が、純愛小説を書き続けているのは、本人の代わりに、登場人物にそれを体験してほしい、という意味合いもある。

将来的にはわからないが、そういう生き方も、ある。


寂聴先生ありがとうございました。
よろしければ何らかの方法で「あの世」の様子をお教えいただければ幸いです。

まずはゆっくりとお休みください。


【追記】
――と、書き終えて、ブログにアップする準備をしていたら、

PCに保存していた寂聴先生の法話CDのフォルダがなぜか勝手に開いていた……。(本当)

最近聴いていなかったのに、どうして?

これは、もしや……。

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