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約束したわけじゃないのにやってくれなくて悲しくなってた
いつもより遅く起きても学校に遅れることなく登校している。
いつもより遅く起きても自分のことを優先にして朝ごはんのお手伝いをせずに誰よりも早く席について朝ごはんを食べることにイライラしてしてた。
朝起きたら食事の手伝いをしないとごはんを食べてはいけないという家庭環境で育ったのは私。
ある日起きられない日があった。
そんな日は早く着替えていち早く食事の手伝いをしなければならず家族のことを優先にしていた。
それが当たり前だと思っていた。
私と子どもたちの間で、朝起きたら食事の時間に合わせてお手伝いしてねという約束をしていない。
なのに、いつもより遅く起きて自分のことを優先にして食事の手伝いせず、食卓に並んだ状態の頃にタイミングよくやってきてちゃっかり座ってご飯を食べる姿に、イラついていた。
遅く起きたならいち早くご飯のお手伝いをするのがあたりまえだろうよ。
と、思っていたから。
ああああああああ・・・・・・・。
何をしたらいいか判断できる子に育てなくちゃ、
どんな時も察知して率先して行動することが良いことだと、
思っていたし、そういう人になったいいという強い願いみたいなのがあった。
イライラしていた感情から少し離れ、
落ち着いた時に気づいたこと
約束してないのになぜイラつく?
約束をしていたならイラついて当然だ。
しかし、約束をしていない。
なのにやってくれない、
察してくれない、
当たり前のことができない、などと勝手に決めつけてた。
そもそも
「約束」してないのに・・・・ね。
私が育った家庭環境と子どもたちと暮らす家庭環境と重ねてた。
ごはんの時間を知りながらグラスに水を注いだくらいでごはんを食べる姿にイライラしてしまっていた。
子どもたちからしたらなぜママは食事の前に不機嫌になるのか、わからなかっただろう。
遅く起きてきても遅刻せずに学校に行っている!
朝ごはんをしっかり食べて学校に行っている!
私が子供の頃はこうしてきたんだからあんたたちもそうするべきなのに・・・って、そう感じていた、
時として率先して手伝ってくれることもある。
心から嬉しい気持ちになる。
やりたくないこともやらないといけない。
そういうスタンスのままやるより
やりたくないけど、やると決めてやる!
どうせやるなら楽しみながらやる!
やりたくないことはやりたいことにシフト出来たらどんなにいいか。
やりたくないことを強制的にやらせてもその人のためにはなにもならないことを知っている。なのにその型にはめ込もうとしていたんだ。
イライラしなくていいところで
イライラしてた。
イライラしなくていいところで
イライラをぶつけてた。
どんなことにイライラを感じていたのか、自分で自分のことを覗いたら・・・。
そして今朝、寝坊してお手伝いをせずに朝ごはんを食べる姿を目の当たりにしたけれど、
「ごはんに間に合ってよかったね。」って思えた。ただそれだけ。
勝手にイライラして悲しんだりする必要はどこにもなかった。
時々自分の思い込みや決めつけによって自分で自分のことを苦しめてしまうことがある。
1人ではなかなか見えない部分。
主人と話しているうちに見えてしまった部分。
こんな風に思っていたんだ。それを認識したら今朝はなんてことなかった。