【神殺し】精神疾患は世界平和のための小宇宙の抑圧にして、個として行える最大級の供犠

「真に主体的なもの」は”神(一者)”だといえよう。

つまり「主体性がない」という言葉は、対象のこころ(信念)から神をごっそり剥奪することになる。これすなわち

「汝には信仰がない」と明断するのと同義なのだ。

そして対象をしてそのアートマンのちっぽけな殻(肉体)に閉じ込める、最上級の「呪言」であるといえよう。


本当に、何気ない言葉ほどおぞましいものはない。

そもそも、信仰があるかないか、生命かどうか、
主体的かどうかなど、他人が決めてよいものではない。


私が先ほど投稿してすぐ消したつぶやき↓


凄みのある若者に「主体性」を発揮させたら、何をやってもヒトラー(芸術の暴走)的にならざるを得ないのではないか、、?

いくら財産や地位があっても、それを以てみなが安心し、みなで喜べなければ、ただただ不審が募るばかり。

いつの時代も民の根底にあるのは社会主義的な「普通の社会」への志願だ。



【自分で書いたコメント】
・うつとは全体の和平のための自主性の撲殺なのではないか。
自主的非武装の内的提唱による「認知的不協和の解消」の結果、その民はみな何らかの「本態性の病」にかかる。つまり「罹患によって」自ずから戦場から遠ざかることを無意識化で志願するだろう。


闘争とは健康なものに許された最大級の自己表現だ。

自己表現は総じて闘争的であり、その最たるものがヒトラーだろう。

われわれはこれを「最大悪」としている。

すなわち「自己表現」に善悪があるとしている。

ひいては「自己」に善悪があるとしている。

それはつまり「精神」や「生命」「自由」に善悪があるものだと認めることになる。なんとおこがましい。その分別を規定するのが金であれ、派閥、生まれ、世間、或は何であれ、最高権力がそこに存在することになる。

これが恐れるべき共産主義でなくてなんだ。

戦後日本の資本主義とは超強制的共産主義であったか。

あぁ本当に、「名は体を表す」なんて嘘だ。

そして、さらにこう断言できる

「名は呪いだ。」

医者は医療を行えず、

為政者は政治を行えず、

学者を学問を行えない。

私が私を行えないように。

名はそれがそれになれないように、
その外側を固く縛り上げ、
何人も立ちれなくする結界だ。

名の内側と外側では宇宙の理が異なると言っても過言ではなかろう。

穢多は穢れてなどいなかったはずだ。
性こそ聖であり、貧こそ富だったのではないか。


みんなそろって逃げているのだ。

制御不能な「自己」から


臆しているのだ。

理解不能な「生命」を


怖れているのだ。

底知れない「表現」の力、ブラフマンを



うつとは、「内的なブラフマン、内的な仏神、内的な宇宙の表出を抑えろ。」という社会的要請(教育)によって

”主体的に”自らに施した≪くびき≫だ。


ゆえに、偉大なる魂を持つ者ほど教育によって苦しみ、

自己を縛り上げることで精一杯になる。


あぁ、かれらは本当に忙しいに違いない。

内なる自己を抑圧するという「神殺し」を常時行っているのだから。


忙しい忙しい忙しい忙しい、

われわれは今日も言葉(ロゴス)と戦争中だ。


ぼくは世界を僕から守り、同時に

僕はぼくを世界から守っている。そんな関係。


最前線にいるうちはことの全貌がわからないかもしれないが、

いつかきっと、われわれがこれまで無自覚に内に留め、

抑圧し、制してきたものの「真の大きさ」を知るとき、

すべての人に文字通り「宇宙規模の祝福」が訪れるだろう。


むしろ、祝福があるとするならばそれ以上も以下も以外もない。



今回は少々過激だったかな、

でもこれが本来「普通の社会認識」だと思うから、

ごめんあそばせ。


それでは、ごきげんよう。



(いつも記事に似合う画像が見つからない、)




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