歩んできた人生の道のり。カラダ編。
ぼくらはみんなiPhoneみたいなもの。
工場出荷時の性能は同じ。
どんなアプリをインストールしてゆくかで
異なる存在になっていく。
心身の在り方から観た人間という存在。
工場出荷時は体癖というカラダに伴う感受性が基本性能としてあるだけ。
ぼくらは最初は言葉すらインストールされていないものね。
生命の根源エネルギーである「気」。
「気」は凝集力なので
必要な物質を集めて
カラダを創造していく。
10カ月ほどの胎内滞在期間において
一つの卵子と精子から50兆個の細胞へと増殖していく。
人間を創造していくために爆発的な増殖が必要であり
もっとも気の勢いが激しい。
誕生してからは、大人になるまででさえ
せいぜい数倍の変化しかないからね。
誕生した後は
この地上世界で活動を開始する。
人間は動物なので動くことで
うちから湧き起こる要求を表現していく。
だから、活動には必ず打撲を伴う。
そして大きな打撲というのは
すべてカラダに痕跡として残っている。
す・べ・て
だからなんだかよく分からない表現をしているカラダを
気が通る
ホメオスタシスが働く整体へと誘導していくと
痛みや異常感が浮き上がってくることがある。
それらは
50年以上前の酷い打撲や
3年前の交通事故で車にはねられた痛みや
15年前にスノボで強打した頭の打撲や
20年前の骨折や
1歳のときに開腹手術でカラダにメスが入ったときの恐怖だったり。
手術などは全身麻酔だったはずなのに
お腹の1点にふれると
どんなに爆睡していても目を覚まされる。
そもそも記憶では覚えていない幼少期なのに
カラダの記憶としては明確に残っていた。
カラダという面から人間を観ていくと
もっともカラダを鈍らせるのが打撲。
鈍りは打撲した部位の強張りから始まり
その部位を神経支配している背骨
こころや潜在意識と連動してる背骨の際など
連動している全身に波及していく。
その強張りには感受性の鈍りも伴う。
動作の可動域制限や感覚の麻痺などがあれば
その鈍りを自覚できるけれど、
なければ気づくこともなく鈍りは進行していく。
ここで言うカラダに痕跡が残っている打撲には
物理的なものだけじゃなくって
心理的なものも含まれる。
心理的な打撲とは
体験した出来事や
投げかけられた言葉でショックをうけた体験。
心理的な緊張を強いられれば
さらにさらにカラダは強張っていく。
そして現在
人間のカラダが有史以来はじめて遭遇しているのが
異常な眼精疲労たち。
スマホの出現が液晶画面を見ている時間を飛躍的に増大させて
眼精疲労に追い打ちをかけた。
眼精疲労の正体は
同じ焦点距離を維持するのに必要な
眼球の裏にある毛様体筋の疲労だけのはずなんだけど
実際にはいろんな部位に強張りが波及していく。
上腕の骨の際や
前腕の筋肉、
頸椎一側の疲労から
胸椎三側の疲労へ
そして腰椎二側へと
大腿部の裏にまで波及している。
ほぼ全身と言ってもいい。
デスクワークの仕事は座りっぱなしで動かない。
同じ姿勢を継続することによって強張りが生じてしまうし、
職業に伴う同じ動作の繰り返しは
特定の部位のみが強張る偏り(かたより)疲労を生じさせる。
眼精疲労をも含む偏り疲労と打撲と
そしてもちろん生活習慣が
カラダに刻まれていく。
その結果生じた強張りや異常は
元に戻そうとするホメオスタシスが発動できるうちは
風邪をひいたり
発熱させることで
ぼくらが預かり知らぬ間にカラダが勝手に回復させてくれる。
通常の偏り疲労ならば
無意識運動である活元運動を行えば
カラダの弾力を取り戻すことができるんだけど
現代の酷い眼精疲労と打撲は
無意識運動が勝手に調整してくれるってわけにはいかない。
愉気をおこない
気が通るように調整してあげる必要がある。
カラダに刻まれた強張りは
鈍りや過敏を発生させて
感受性の変化となり
気持ちの変化にまで波及していく。
あの交通事故以来
なんか気分がすっきりしないんだよね~
この仕事に就いてから
なんかずっと疲れているんだよね~
感じている微妙な違和感や
変化してしまった自分の気分や体調というのは
カラダに刻まれた打撲や偏り疲労が原因かもしれないよね。
※カラダに刻まれている打撲