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自分のカラダを感じられている?

仕事であっても、スポーツであっても

身体技術の学びにおいて上達するか、しないかの違いは

見た情報をカラダに再現できるかどうかに掛かっている。


上達していく人は、

先生が示した見本を見て速やかに自分のカラダで再現できる。

上達しない人は驚くほどに再現できない。


その違いを生み出しているのはカラダの感覚。

自分のカラダがどのような姿勢となっているのか、

どのように動いているのかを認識する能力。

カラダを感じとれているかどうか。


学習の場で先生が

力を抜きなさいって、生徒によく言ってるでしょ。

それは、力が入っていると感覚センサーが働かないからなの。

だからカラダが緊張して硬張っているうちは上達しない。

カラダを感じられていないから。

間違っていることにも気づけないし

気づけたとしても修正できない。


とは言っても、現代は眼精疲労がデフォルトでカラダを覆っているので

必然的に腕が硬張ってしまっている人がほとんど。

大人でこの腕の緊張の呪縛から解放されている人を見たことが無かった。


自分の腕がこれほどまでに硬張っていることにすら

他者に触れてもらって指摘されなければ

ぼくらはなかなか気づけない。


PCで仕事をしている人が

丁寧に前腕(肘から手首)の硬さを観察したのならば

仕事前と仕事後で違っていることを感じられると思う。


1日の仕事ですら硬さに違いが現れるので

年単位で目を酷使していれば前腕の硬直は酷い状況に陥っている。

それでも仕事の結果から腕の硬直に気づける人はほとんどいない。


ところが先日、硬直が無い大人の腕を初めて触れる機会を得た。

そのような柔らかい腕にふれたのは初めてだった。

整体指導者にもいなかったし

スポーツ選手でもいなかったし

ヨガの先生などにもいなかった。

こんなに腕に緊張や硬張りが無いってことは普通の職業ならば無い。

そこまでのカラダの在り方を求められなくても成り立ってしまうからね。

彼女は腕を使う職業なのに

腕に硬張りがないってことは

腕の緊張に敏感に気づいていて

緊張せずに使うことを意識して向き合ってこられたからだった。


プロのヴァイオリニストの方だった。

ほーう、凄いなあ。

素晴らしいカラダの感覚センサー。



おそらくだけど

腕の緊張が即、ヴァイオリンの音色に出るんだろうね。

腕に緊張が入っていれば、音が響かない。

ヴァイオリンから出てくる音が響かなければカラダの使い方に問題がある。

そうやって音色が腕の使い方を導いてくれた結果として

硬張りがない腕、腕の使い方を獲得された。


彼女は動作の結果、仕事の結果が音だった。

仕事の結果が自分のカラダを感じることを要求してきた。

満足のいく音を追求した結果、腕の緊張と向き合うことになった。


PC業務であれば

仕事の結果をカラダの在り方にフィードバックしている人はいない。

ぼくら整体指導者でも出来ている人がいるのか怪しい。

それほどまでに、ぼくらは自分のカラダをちゃんと感じることが出来ていない。


自分のカラダを感じられている?

身体技術の学びの際には忘れずに自分に問いかけていきたい。













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