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不感症からの卒業を目指そう。

整体指導を行っていて一番困ったなぁと感じる瞬間は

目の前の人の心身に変化が起こらないとき。

どんなに長いあいだ苦しんでこられても

どこに行っても原因不明と言われようとも

ふれて観察して動かない処、気が滞っている処が捉えられて

愉気などを介して働きかけて変化をしてくれればいい。

変化しないってことは在り方がそのまんまだから何も変わらない。

とってもシンプル。


眼精疲労を例にとると、現代においては過酷な眼精疲労を感じないように

生き抜いている人がほとんど。

ほぼ全員が感じないよう鈍らせて生きている。

不感症になることで過酷な環境に適応している。

すなわち鈍り適応しているわけ。


はじめて整体指導を希望されて訪ねて来られる方は

心身の悩みを抱えている方がほとんど。

その悩みの元が整体に回復する過程で消滅すれば信頼していただけるし

悩みの元が変わらなければ二度と訪ねては来ない。


以前、食べることだけが生きがいだという人が訪ねてきた。

カラダを観察すると消化器と連動する部位がすべてガチガチに硬直していた。

それで長年の食べ過ぎの結果として背中が丸まっていた。

本人は丸まってきた背中が病気なんじゃないかと心配していたんだけど

食べ過ぎの結果ですとお伝えしても

食べ過ぎを止めるつもりはないって返事が返ってきた。

他に生きがいがないからという理由だった。


鈍ることで食べ過ぎを可能にしているんだから

感じるようにしていていく整体指導を受けるなんて全く意味がない。

不感症でも感じるほどに食べ過ぎの害を感じられるようにならなければ

食べ過ぎを改めようなんて思わないからね。

それまでは鈍ったまま、背中が丸まったまま生きるしかない。


先日も食べ過ぎの方が来室された。

膝が痛くて、医者からは膝を人工関節にすることを提案されていた。

実際にカラダを観察してみると

とっても鈍ってしまっているカラダだった。

不感症のカラダなのに

それでも感じるようになった異常をいろいろ抱えている状態だった。

その中でも特筆して鈍ってしまっていたのが足首だった。


ぼくが触れたことのある足首で過去一番鈍っている足首だった。

ぼくも体重が100Kg近いので足首が細い方じゃないんだけど

ぼくの足首の倍くらいの太さの足首だった。

丸太のようになって生き物に触れている感触じゃなくって

まるで物体、物に触れているかのような感触になっていた。

当然、まったく気は感応しない。

働きかけて足首を引締めようとしても全然動かない。

太っているので背骨に触れることもできないし

お腹の底に手を入れていくこともできなかった。


とりあず動かない部位は放っておいて

変化が誘導できる部位に働きかけていくことにした。

とは言っても、今のぼくの技術で出来ることしか提供できないことには変わりない。

こちらの働きかけに呼応してくれる心身じゃないと、どっと徒労感に襲われる。

久々に厳しい整体指導の風景となった。

通常の初めての方の倍くらいの時間を要した。

だからその方がふたたび来室されるのは正直厳しいだろうなと思っていた。


ところがその方が2度、3度と通って来られるようになった。

本人が感じられる変化があったことはもちろん

2度目の整体指導のあとに食欲が抑えられるようになって久々に発熱したらしい。

いまだ足首は丸太のままだけど

脂肪に覆われていた背骨にも触れられるようになってきた。


面白いことに、せっかく抑制できるようになった食欲は

1週間後に部下が辞めたいと申し出てきたとたん

依然と同じように再び湧き起こってきてしまったらしい。


生き物にとって

感じないは = 死 へのベクトル。

感じられるから、ホメオスタシスが働いて自然治癒力を発揮できる。

感じる = 生きる へのベクトル。


せっかく不感症でも感じてしまう程の異常を体験したのなら

もう二度と不感症という在り方には戻らないで欲しいものです。

目指して欲しいのは不感症からの卒業なり。



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