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カラダの気持ち
先生、面白いことに気づきました。
下痢のときは、皮膚が和らいで楽なんです。
だとしたらアトピー性皮膚炎と診断されているその症状は
下痢と同じ系統のカラダの表現ってことになる。
すなわち同じ排泄反応。
下痢で排泄できていたら、皮膚から排泄せずに済んじゃうものね。
食べ物に問題があるケースを例にとると
最初に鼻が臭いを嗅いで、
嗅覚がこの食べ物怪しいと判断したら
食べるという行為を止める。
口に含んでから、
味覚で違和感を感じたのなら吐き出して排泄する
飲み込んでしまっても胃袋が異常を感じると
嘔吐して排泄してしまう。
腸まで到達してしまったら、
カラダが異常を感じられれば下痢として肛門から排泄してしまう。
腸で吸収してしまった場合は、
汗から排泄しようとしたり、
皮膚から排泄しようとする。
カラダの気持ちとしては
気持ち悪いから、吐きたいわけ。
排泄できれば手段は問わない。
歌舞伎を観劇に行って、幕の内弁当を食べたら
突如として活元運動の衝動が湧き起こってきた。
さすがに席でじっと観劇など出来ようはずもなく
ロビーの廊下に出て活元運動をしだしたら
食べたものを全部吐いてしまった。
結局、その幕の内弁当を食べた人は全員食中毒になってしまった。
活元運動の衝動が出て吐けた彼以外は。
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ぼくも喫煙していたときは
下着のTシャツの脇が毎日黄色くなっていた。
カラダは脇汗でニコチンを排泄してくれていたわけ。
汗で排泄できていたからニコチン中毒になっていなかった。
だからタバコを止めることはさして困難じゃなかった。
たまにコーラを飲むと美味しいって感じるのと同じで
たまにタバコを吸うと美味しいって感じるけれど
やっぱりカラダにしてみたら負荷がかかる余分なことなんだろうね。
こういった作業をカラダが毎日、毎瞬行ってくれていることを
ぼくたちが意識することはほとんど無い。
100%無意識運動が行ってくれている。
一連の作業を意識で行っていたら
その作業に費やす時間だけで人生が終わってしまう。
ぼくらが意識しなきゃいけないことがあるとしたら
如何に無意識運動の邪魔をしないかだけ。
最も無意識運動の邪魔をするのが頭の緊張。
頭の中に不安や恐怖を持ち込まずに
脳内の思考が静まってポカーンとなれば
少なくとも無意識運動が自由に動ける環境を提供できている。
脳内で言葉をいじっている状態は
カラダを感じられていない状態。
だから脳内で言葉をいじっていたらカラダの気持ちなど分からない。
自動思考が静まると
カラダが発してくれている違和感
カラダから伝わってくる衝動
そういったカラダの声が聴こえてくる。
生まれてから、死ぬまで
ずっと自分と一緒にいてくれるカラダ。
歌舞伎座で活元運動が出た人が
感じた衝動を無視したり
高い値段のチケットがもったいないからと
我慢して席に座ったままで活元運動を抑え込んでしまったら
他の人と同じように食中毒になっていただろう。
カラダの気持ちを感じることなくして
はたして自愛など在るのだろうか。
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