ねえねえ、私のこと忘れてない?と、カラダが申しています。
意識体、霊体であるぼくたちは
この現実世界、地球を体験するために
この道具に宿っている。
この道具とはカラダのこと。
心身一如でこころとカラダは同じもの。
地球で存在するために重要なのは
言うまでもなくこのカラダ。
このカラダをちゃんと感じ取っているだろうか?
カラダが教えてくれるメッセージをちゃんと聴いている?
カラダが嫌だ~ってメッセージを発しているのに
仕方なく出勤したり、登校したりしていない?
周囲の目を気にしてカラダからのメッセージに蓋をしていない?
生きているぼくらにとって究極のリアリティ、現実とは
まずカラダだよね。
カラダは本来は異常が生じると元に戻ろうとする平衡要求が湧きおこる。
ホメオスタシス。
深刻な異常状態としては
自分のカラダを自分のものと感じにくくなってしまう離人症などもある。
自分のカラダを自分と感じられないというのは
ひとときも安心を感じられないものすごく不安な状態。
感じないカラダを感じるためにはどうすればいいか。
カラダを傷つければ
痛みが生じるから嫌でもカラダを感じざる得ない。
止められないリストカットや自傷行為、SEX依存症などは
痛みや快感で強制的にカラダを感じさせることで
カラダを自分のものなんだと再認識させようとする
カラダが無意識に行っているホメオスタシスなんだと思う。
希薄になってしまったカラダの気配を
ふたたび感じるために行為としては合理的な手段だもんね。
一見異常な行為に見えるけれど
深刻な在り方の危機が生み出したカラダからのSOS。
カラダにとっては
感じない=死
だからね。
同調圧力の強いこの国では
自分のカラダが発しているメッセージよりも
周囲の目や世間体を気にするひとが多い。
だから好きなことをやりたいようにやっている風流なひと以外は
カラダの声を聴く習慣をなくしてしまう。
そもそもカラダを感じていないのに
バーチャルリアリティーやゲームなどの仮想現実の技術革新に
世界中が熱狂して狂奔している。
当然、意識はさらに外向きになるために
内なる
カラダというリアリティが益々失われてしまう。
そのためにもワクワクやドキドキというカラダから湧き起こる衝動を行動にしてあげてほしい。
なぜかって?
人間は動物だから。
動くことで要求を実現していくことが自然だから。
最も身近にある自然である
そのカラダから湧き起こっている感覚に身を委ねてみよう。
自分軸って言葉が流行っているみたいだけど
究極の自分って
カラダというリアリティのことだからね。
そしてこのリアリティは
心地よさや幸せという体感と直結しているのです。