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自分が、自分を、感じてあげるのが自愛。

東京に出てきたときに整体指導を受けに来室される方がいる。

久々に訪ねて来られたら記憶にある彼女のカラダと違っていた。

まず右腕に気が通らなくなっていて

確認したら耳の横まで挙上できなくなっていた。

ぼくに指摘されて初めてカラダの持ち主であるはずの彼女も右腕も異変に気づかれた。

大雪が降った影響で久々に作業を行った雪かきが原因だった。

くわえて彼女の背中では見たことのない気の閊えが黒く見えていた。

いつもの日常業務とは異なる緊張があった痕跡だった。


ご本人に伝えると、

あ~、やっぱりと返事が返ってきた。

自分が企画したプロジェクトを社長へプレゼンして

メディア対応も行ったので馴れない緊張の連続だったとのこと。


だからいつもと違う自分に気づかれて来室された。

ご本人が感じていた違和感、くたびれは

他者が観察してカラダから読み取ることができる。

だから感じていた違和感は気のせいなんかじゃない。


数年前、自分のココロとカラダに生じている違和感が感じられなくて

精神科の薬を常用していた頃とは、もう全然違っていた。

今ではちゃんとカラダに生じている違和感を感じとれるようになっていた。


自分に生じた異常感を

感じない=死へのベクトル

感じられる=生きるベクトル


自分が感じていることを

他の誰でもない自分が分かってあげている。

彼女が自分自身の状態を分かるようになったことが感慨ひとしおでした。

それこそが自愛だものね。












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