一多

適当に書いたことを投稿しています。

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最近の記事

可能性を理解することは矛盾を理解することに還元できるか?という問題についてのメモ

可能性の古典的な定義(バウムガルテン)では矛盾していないことであった。つまり、矛盾がなんであるかを理解すれば、論理的な可能性についてはさしあたり理解することができると考えられるかもしれない。しかしそうではない。矛盾とはAとAの否定が同時には成り立たないということであるから、そのことを理解しさえすれば矛盾を理解したと言えるのではないかと思われるかもしれない。だが、AとAの否定が同時には成り立たないことを理解するためには、肯定的に述べられているAと同じAの否定が事実として両立して

    • 自己治療的な日記

      まずい、奴が来た。こういう時はとりあえず何かを書き始めてみるのが大事だということはわかっている。なんかタイピングをしていると段々とキーボードをタイプすることだけに意識が向いて、そのことだけに集中するようになる。そうなったらしめたものである。そうなるとタイピングすることそれ自体が楽しくなってくる。指とキーが触れ合ってかちゃかちゃ、かちゃかちゃ言ってる。あとはこのプチプチとキーを押す感覚。これは包装に使われるプチプチを潰すときの気持ちよさに近しいものがある。うんこちゃんの配信を見

      • やるべきこととやりたいことと息抜きの狭間で

        特に何もやりたいことが思いつかない。本当は大学の課題やテストの勉強やレポート作成をしなければいけない、締め切りが迫っているのだけど何だかからだが動いてくれない。夏バテのせいだろうか。やるべきことがたまっていく一方で、やりたいことをやるにも罪悪感があって集中できない。八方ふさがりでもう何をやっても楽しいと思えない。本当はドライブで小旅行とかプールとかも行きたいのだけどそれもあまり行く気にならない。行くことを想像するとどうしても憂鬱な気持ちになってきてしまう。つい数日前までそんな

        • 備忘録

          なんやかんやあってレポート群をとりあえずやっつけ終えた。二つもレポートを遅れて出してしまったけど、それでもなんとかやり切ることができた。まだ残りの一つの方はメールの返信が来ない。まあもし仮に単位が取れていなかったとしても、レポートをやり切ったということは僕にとっては意義があることだと思う。 今日は昼過ぎくらいから体調が優れない。おそらく寝不足が祟っているような感じがする。外的な刺激とそれに対する不安感、それによって引き起こされる身体感覚。身体感覚の破局的解釈。この循環にとり

          父の子育てについて

          私の父は典型的な一家の大黒柱としての男性を体現しているような父で、父は平日はほとんど会社におり母が育児、家事を行っていた。土日も父は仕事の疲れからか、家にいて横になってテレビを見る時間が多かったように思う。だから、育児に際して父が細かなことを口出しすることはなく、基本的に日常的な事柄に関しての教育や躾は母が行なっていた。とはいえ、父は私が何か口答えしたり、気に触るようなことを意見するとすぐさま「誰のおかげで生活できていると思って いる」と言って、私の言動を抑圧してきた。その度

          父の子育てについて

          マジでくそ、ほんとに終わってる

          12時に寝るはずだったのに、だらだらゲームとyoutubeで過ごしてたら5時になってた。なんなんだこの時間。マジでくそ。人生でなんの意味のない5時間を過ごした。なんなら、毎日最低5時間くらいはこんなことをして5年ほど過ごしたわけだから、積算すれば9000時間くらいはこんなクソみたいなことに時間を費やしていたことになる、この時間があれば、、この約1万時間があれば、僕は何にでも慣れたはずだ。英語でドイツ語の授業をやるというだけの理由で履修を切ったりしないし、今頃TOEICなんざ万

          マジでくそ、ほんとに終わってる

          肩が痛い

          最近以前にも増して肩が痛い。痛いというよりもむしろ、両肩に2㎏くらいの重りを乗せてるみたいな感じだ。原因はおそらくパソコンや読書、スマホを使う時に姿勢が悪いことだと思う。 あー痛い、だから最近シール状の鍼を一日中付けているわけだけどそれでも事態よくなっている気がしない。秋学期の授業が始まってから、急に勉強をしなければならないことになって体が悲鳴を上げ始めているのかもねえ。 最近友達と塾講師のアルバイトをしようかという話になってる。まず面接を受けるためにスーツを実家から持っ

          肩が痛い

          シャボン玉の色は変わらないように見える

          最近公園でピクニックをしたんだ。シャボン玉を近くの100均で買ってきて、ひさびさに遊んでみたんだ。長らくシャボン玉で遊んでなかったから、てっきりシャボン玉って光の当たり具合でいろんな色に変化していくものかと思ってた。そしたら意外なことに気が付いた。シャボン玉っていろんな色があるけど、見え方によっていろんな色に見えこそすれ、本質的な色は変わらない。つまり、紫っぽく見えるシャボンはずっと紫っぽくて、オレンジっぽく見えるシャボンはずっとオレンジっぽく見えるってこと。その紫っぽさ、オ

          シャボン玉の色は変わらないように見える

          ちょっとしたムフフ

          先日Amazonで買い物をして、今日届くことになっている。僕はふだん、宅配を受け取る時にいつ来るかわからなくて待つ時間が嫌で、最近は置き配指定で玄関に荷物を置いてもらうようにしている。Amazonで買い物をすると、たいてい大手の業者じゃないところが配送担当だから、玄関指定だと雑にぽいっと置かれていることがほとんど。 だから今日もそんな感じで置かれてるかなと思ってドアを出て確認した。荷物がない。どこにあるんだろう。もしかして盗られたかな?念のため不在票が入ってないか、ポストを

          ちょっとしたムフフ

          明日ラウンドワンに行く

          急に体を動かしたくなって、彼女を誘ってスポッチャに行くことにした。先日、ドライブの練習をした時にも行ったから、行きすぎかな?とも思うけど。どうやらランニングやウォーキングとかの単調な運動は僕は好きではないみたい。何でかって考えると、たぶん単調な運動だとやってる最中暇だからいろいろ考え事をしてしまうからだと思う。そもそも、運動をしたいってのも考え事してしまうのを一旦休憩したいからで、そうなるとやっぱりそのこと自体に没頭できるような、今自分がやっていることだけを考えられるような運

          明日ラウンドワンに行く

          クソみたいな一日、僕の日常

          お腹すいたけど、何も食べる気力が湧かないし、2日くらい風呂行ってないから体が臭い。おまけにベットでゴロゴロしすぎて、頭痛い。こんなとき、もうなにもかもどうでも良くなってしまう。ああ、もう何も考えたくない。 でもこういう日に限って寝付きが悪かったりする。いい加減何かアクションを起こさねば、と毎日思ってはいるんだけど、毎日そう思いながら逃げて逃げて逃げ続けて今まで生きてきた。向き合わなければならない事が起きたときに、真っ先に敵前逃亡して、思考停止するクセがついてしまっているんだ

          クソみたいな一日、僕の日常

          ラーメン屋での話

          昨日の夜のことなんだけど、コロナで自粛要請が出てるって言っても家に食料が無くて、買い出しに行って今から料理するのも億劫だったから、近くのラーメン屋に行ったんだ。自粛要請の甲斐もあってか、いつも並んでいるそのラーメン屋も僕が行った時には数人の客しかいなかった。いつも通りに入り口のところで坦々まぜそば大盛りの食券を買って、席に着いた。カウンターには僕のふた席となりに会社帰りのサラリーマンっぽい中年男性が座ってた。 僕がトイレに行こうとしたとき、ちょうどその男性がトイレに行こうと

          ラーメン屋での話

          2020年7月16日木曜日 次ほけかんに行ったら先生に言うこと

          予約している心療内科に行きたくない。この間も予約していた日に行けなかった。まだ数回しか行っていないのに、もう2回目だ。 この心療内科はもともと、僕はもともと大学の保健管理センター、通称ほけかんに通っていたんだけれど、大学のほけかんは病院としての立ち位置はグレーらしく、出せない薬があった。だから、5月くらいから紹介状を書いてもらって外部の心療内科に通っている。でも、まだ5回中3回くらいしか行けていない。 心療内科では主治医の先生に対しても何でも話せる感じではなく、先生が必要

          2020年7月16日木曜日 次ほけかんに行ったら先生に言うこと

          2020年7月15日水曜日 意味中毒な僕

          なんか最近、どうせnoteに投稿するなら、ちゃんとしたものを投稿しなきゃなという呪縛に囚われている。僕にとってちゃんとしたものとは、稚拙でも浅薄でもいいから問いを立てるということであり、読む人にとって示唆に富む内容を含んでいるということで、逆にちゃんとしていないものというのは何時に起きただとか、何を食べただとかそういう日常的な出来事についての事実的叙述である。 なーんか堅苦しくてやってらんないよね、もっと肩の力緩めてやっていこうや。文章書くのって楽しいぞ〜。文章を書くのは頭

          2020年7月15日水曜日 意味中毒な僕

          2020年7月10日金曜日 ドライブと外の世界

          ドライブに行った。運転というのは僕にとってはなんだか不思議な行為だ。あのメカニカルな箱の中で機械を操縦しているだけなのに、その動作によって実際に空間的な移動が生じている。僕の目線からは無機質な箱のフチ(僕が内側にいるを確かめられないが、僕は当然そのフチを外から眺めることができると考えている)やらハンドルやらが見えている。ここまではゲームの操縦シュミレーターとなんら変わりはないのだ。それなのに現実にはそれを操縦すると、現実の世界で運動が起こる。この違いは何なんだろう。これは単な

          2020年7月10日金曜日 ドライブと外の世界

          2020年7月8日水曜日 反感は自分に返ってくる

          何の気なしに初めたことなのに、意外に見られている(と言っても僕はこんなクソブログ誰が読むねん。と思っていたのに反して、予想外に見られているという範疇でだけれど)。なんでかはよくわからない。note側のシステムが優秀だからかもしれないし、いいねすることで自分のnoteを見て欲しい、あわよくばお金を落としてくれやしまいかという人たちが一定数いるのかもしれない。が、この際そんなことはどうでもいい。僕にとっては僕の文章が誰かに見られているということにえもいわれぬ高揚感を覚える。しかし

          2020年7月8日水曜日 反感は自分に返ってくる