ラーメン屋での話

昨日の夜のことなんだけど、コロナで自粛要請が出てるって言っても家に食料が無くて、買い出しに行って今から料理するのも億劫だったから、近くのラーメン屋に行ったんだ。自粛要請の甲斐もあってか、いつも並んでいるそのラーメン屋も僕が行った時には数人の客しかいなかった。いつも通りに入り口のところで坦々まぜそば大盛りの食券を買って、席に着いた。カウンターには僕のふた席となりに会社帰りのサラリーマンっぽい中年男性が座ってた。

僕がトイレに行こうとしたとき、ちょうどその男性がトイレに行こうとした。彼はびっこを引きながら歩いているように見えた。その瞬間、僕は彼をおそらく何らかの身体障害を持っているのだろうと判断した。ただ怪我をしているだけだったかもしれないけど、足を自由に動かせないことが彼にとって自然なように思えた。

そして彼がトイレから帰ってきてから、僕の近くにあるウォーターサーバーで水を汲みに行こうとしていた。でも僕はその時点で、反射的には水を汲んであげようと思った。しかし、それと同時に「あげよう」という押し付けがましい親切心が芽生えていることにも気がついた。

やらない偽善よりやる偽善というのは「やってあげるーやってもらう」関係の固定化し、「やってあげる」ことを正当化したいための方便なのではないか。

じゃあ、僕はあのときどうすればよかったんだろう。

今日は眠いから、また考えてみることにしよう。


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