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朝ドラ「虎の翼」に出てくる新潟地裁の話と先輩研究者の研究が同じ構図すぎた話

映画やドラマを見ていると、うちの研究者の、どの研究と共通する部分があるかを考えがちです

かなりご無沙汰の投稿になってしまいました…!みねこです。
今期のNHK連続テレビ小説「虎に翼」。遂に走り切りましたね…!

あらすじからして、社会科学の研究機関勤め、女性のキャリアにも色々思うところがありまくりのアラサー女のセンサーが反応しないわけがない…と、いつもよりちょっぴり感度を高くして今作を観ていました。

案の定、アカデミア界隈ではどのように見られているのだろう?と思う描写や、一度の視聴では消化しきれず、じっくり反芻したい…と思うところも多々ありました。しかしそうした中でも、私はこの「とらつば」を見ながら、内心、ずーーっと、ウズウズと気になっていたことがありました。
それは、新潟編
主人公・寅子が新潟地裁に異動して数々の出来事に対峙していく…というこの第16週のストーリーを見てから、「はて?これって、中国の司法機関を研究している内藤さんの研究と同じ構図やん…?」ということが最後まで頭を離れませんでした。(笑)
最終週でも、新潟の伏線的なものが残っていましたしね。

「とらつば」であれば他にも語りたい(語るべき)トピックはたくさんあることは自覚しつつも、とらつばロスの熱が冷めないうちに、あえて研マネの職業病的な視点(?)でこの新潟編を振り返ってみようと思います。

「虎に翼」新潟編のあらすじ

※以下、「虎に翼」のネタバレを多少含みます。

新潟編とは、主人公の寅子が司法省勤めとなって民法改正や家裁創立に携わり、業績をあげ、法曹人材として着実に歩んでいく中で、新潟地家裁に異動することとなり、新天地で様々な出来事に直面していく一連のお話。

そこでまず寅子が直面したのが、山の境界線をめぐる裁判です。
申立人が大地主であることから、地元の弁護士・杉田太郎が、「大地主なんで、うまいことお願いしますよ」「地元の有力な人に取り入った方が後々楽になるでしょう」と寅子に進言するのですが、あくまでも法に基づいて公平に裁こうとする寅子は、そうした地元の「持ちつ持たれつ」文化に困惑することに。

そうした中、寅子の部下的なポジションにいる書記官が大地主に手を出してしまい、相手を怒らせてしまうというトラブルが発生します。そんな状況に対して、弁護士・杉田は、寅子に対して、手を出してしまったことについては大目に見るよう地主側を説得するから、山の境界線は地主側が有利になるような判決を出すよう提案してくる。
より一層困惑する寅子ですが、弁護士・杉田は、この土地では人の繋がりが濃いものであり、彼らがいがみ合わないように、何かトラブルが起きたら穏便に解決することを弁護士は求められるのだ、それがこの土地なりのトラブルの解決方法なのだ、と話します。

中国の地方裁判所も同じ構図にある?

私の推し研究者・内藤ネキの研究は、この話の中国バージョン
元々は、中国において、中央が作った政策が実際に現場ではーーそれも、こと司法機関においてーーどのように実施されているのかに関心がある内藤さん。その結果、中央と地方の間に”ギャップ”が見えてきた、というのが以下の研究成果。

Who Are Professional Judges in China? Understanding the “Rule of Law” under the Chinese Communist Party

一般論として、中国のような非民主主義的な政治体制においては、中央政府のグリップ力が強く、トップが決めたことが末端に伝わって政策に実施される、つまりトップダウン式に政策が実施される…と考えられています。

中央から要求が来たとき、地方はどのように対応するのか。その問いを司法機関の場に着目して調査してきた内藤さん。現地で聞き取り調査などを進めていくと、法律知識よりも「人情」が大事だと考えて動く地方の法曹人材の姿を目の当たりにします。

中国の法曹現場においては、沿海部と内陸部の法曹人材でエデュケーションギャップが大きく、例えば同程度の重さの犯罪を裁く際に、下される判決が地域によって死刑から執行猶予までギャップが出てしまっていたところ、裁判官の知識を平準化するために司法試験を導入したのが2001年のこと。

内藤さんが現地で調査をしていた2014年〜2016年頃は、司法試験を受けていない世代と、司法試験を受けた世代がミックスしていた過渡期だったのですが、では、両者の関係性はどうだったのか?というと、どちらの世代にインタビューしても、上の世代は今までのやり方に倣い、そして下の世代は現場で評価されるために上の世代のやり方を学び…、その結果、平均化された法律に基づいた判決よりも、結局は地域にとって望ましい判決を出すことが求められるという構図に。

しかも中央政府は、法律知識を平均化せよ、とも言うし、争い事を増やすな、とも言う。矛盾を抱えた要求に板挟みになりながらも、2010年代頃の過渡期においては、まだまだ、地方の裁判所ではその地域のニーズに応えることが求められ、それが優先されてきたという姿が描かれています。
聞き取り調査を行った皆が口を揃えていうのは、裁判においては、知識よりも人情が大事であり、そこにある争いごとをいかにうまく調整していくのかという技量が求められるということだったそう。(・・・「とらつば」と同じではありませんか?!)

法制度の整備と過渡期。法曹人材の価値観も変わるのか

「とらつば」では、結局、この山の境界線に関する裁判は、ある意味“地元のやり方“に即して決着したようですが、「新潟編」の最後まで、主人公の寅子は地元のやり方に理解を示しつつも大いに困惑していたし、最後まで突っぱねるところは突っぱね続けた…という印象を私は持っています。
大地主を怒らせてしまった部下を、許してやってくださいと庇うのではなく、自分が東京に戻った後も彼が地元でネチネチ言われないように、貸し借りを一切作らせない、という思いで、彼のことを組織としてしっかり処分することを選んだところは、地味に奥深いシーンだったように感じていました。

「とらつば」は、女性初の法曹人材が誕生し、日本国憲法ができ、そして戦後の日本社会において法曹界が直面した過渡期の時代を描いたところに見応えがありました。

そして、中国の法曹人材に着目し、その認識の違いを描き出すことで、中国における司法のありかたを明らかにするという内藤さんの研究。現在の法曹人材はどのような価値観を持っているのか、それは内藤さんが最初に調査をした過渡期の2010年代から変化はあるのか…。内藤さんの研究者としてのライフワークに今後も注目していきたいと思います。

そして、「虎に翼」おつかれさまでした…!

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
また少しずつnoteを復活していきたいと思います!

※本記事に書かれていること、このnoteで発信していることは、全て個人の見解に基づくものです。また、本記事作成にあたって話を聞かせてくださった内藤さん、ありがとうございました。

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