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みんな同じ色ではない。そこから認識しないと「多様性」とは言えない!?

地毛が明るいのは問題?!

先日、ニュースで、生まれつきの髪の色、   髪のクセの有無に関して、「地毛です」と   証明する書類を提出させている学校がある。  と、報道されていました。

「えー、まだ、そんなことやってるんだ!」 と、正直 驚きました。

30年前にも、それ必要なの?という校則は多々ありました。           

中学時代の同級生で、髪の色が明るい子がましたが、ずっと水泳をやっていて、塩素で髪が明るくなっているのを、「染めたのか?って、怒られて、親が学校に呼び出された。」とか

インターハイ出場経験のある後輩からは、  「地毛が明るいから、学校には赤髪登録をしていました。大会出場時は、髪を黒く染めていたんです。」とも聞きました。

同窓会などで、そういうことあったよね、と思い出話になったりしそうですが、今で言えば、パワハラとかモラハラと言われ、ちょっと間違うと、トラウマになったり、自分肯定感が低くなることに繋がるかもしれません。

昔は、ともかく、「多様性の時代」に順応していないことに、驚きを感じるニュースでした。


多様性は、外国のことだけではなく、  日本国内にも言えること

子供の頃、                 従姉妹の学校の卒業アルバムを見せてもらったら髪色の明るい生徒が、何人かいました。

子供ながらに、               髪を染める→  校則違反!→ ちょっととんがった、ヤンチャな人たち??            と勝手にイメージしてしまったのですが、

「サーフィンする人達だから、潮で灼けているんだよ。」                  と、従姉妹から解説され、初めて "潮灼け"と いう事をしりました。

小さい頃から海で遊び、サーフィンがライフスタイルになっている人たちは、海水、紫外線の影響で髪の色が明るくなることもある。  

私の捉え方は、               「その土地の習慣や、ライフスタイルを知らない人が見たら、校則を破っているのだと思い込む 事例」そのものです。           

「 黒くなければいけない。黒髪が普通」  

校則によくある概念やフレーズが、      日本人は髪が黒いのが普通。それ以外は、規則に反する。                  そういう、考え方を埋め込むことになるのではないか?とも思えて来ます。

いろんな人がいて当たり前の世の中だ、ということに目を向けなければ、"多様性"という言葉は 浸透しにくいままだとも感じますし、偏見をもつことに繋がるのかもしれない。とも感じます。


日本人は、当たり前ってよく言うけど

海外生活を経験している知り合い達が、よく言うのは、

"日本は、世界からみたら、だいぶ変わった国だと思われている"                                                       

彼、彼女らは日本を出て、日本はそんなふうにみられているんだ、と気付かされたといいます。 

長い時間、単一民族で、成り立ってきていた為、独自の文化や感覚があるけれど、      「普通」とか「当たり前」という範疇や視野の 狭さを感じる。               もちろん、長けているところや素晴らしい部分もたくさんあるけれど、まだまだ不可思議な概念がある、とも。

いろんな人がいる。  

世界はもちろん、日本中、どこででも。    いろんなアイデンティティを持っている人たちが集まっているので、それは当然のこと。

その認識がもっと広がれば、         髪質や髪色に関する、理不尽だったり、おかしな規則はなくなるはず。

きっと、それは学校だけではないはず。  

認識を変え、視野を広げる努力をしよう。   そんな風に考えます。

Aya Horiguchi





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