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新・兎穴と少女 〜アリスと千尋【×えるぶのつぶやき】

GW初日、雨が降る中、矢川澄子が翻訳した「不思議の国のアリス」を読了した。
高校時代に北村太朗が訳したものは読んだことがあったが、矢川訳は「読んだら戻ってこれなくなるのでは?」という恐怖から手に取ることはなかった。

矢川とアリス。
純粋な少女として振る舞うことを周りから求められていた女性と純粋な少女。
その組み合わせからは、危険な香りしかしない。

ただ「兎穴から戻ってこれなくなっても良いかな」と思うぐらいに疲れていた僕は、ついに本書を読み始めてしまった。

世界的に有名な児童文学であるので、あらすじは割愛するが
矢川訳のアリスは兎に角、リズミカルで読みやすい。

「詩人としての彼女」「児童文学者としての彼女」そのどちらかが
無意識なのか意図的なのかはわからないが、そうさせたのだと思う。

冒頭、アリスが白ウサギを追いかけてウサギ穴へ落ちていく場面で思い出したことがあるので、それについて書き留めておきたい。

この穴下りの場面、つまり少女が現実から異界へと誘われる(いざなわれる)場面は「千と千尋の神隠し」(原作「霧の向こうの不思議な街」)を彷彿させる。

本作品の冒頭で少女千尋は両親を追いかけ、廃墟の長いトンネルへと歩みを進める。
トンネルを抜けると、八百万の神様達が集う異世界が広がっていた。
その不思議な世界で無力だった少女が成長し現世に帰るというのが話の大筋である。

少女、トンネル、異世界、しゃべる動物たち、他にも探せばいくらでも出てきそうなものだが、「千と千尋の神隠し」はアリスのオマージュなのかもしれない。
油屋の絶対的な支配者である湯婆婆も、すぐに他人の首を跳ねたがるハートの女王を彷彿させなくも無い。

宮崎駿は友人である10歳の少女を喜ばせたいと思い、千と千尋の企画を始めたと何かで読んだことがある。
調べたところによるとルイス・キャロルが友人の子供であるアリスのために、即興で語った物語を書き留めたものが「不思議の国のアリス」となったらしい。

作者が物語を創り出す動機まで同じというのは興味深いなと思う。

話が散らかって回収できる自信が無くなってきたので、ひとまず話を終えようと思う。

口上コレニテ終。

(シュベール)

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