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使う言葉 2024/09/08週

 彼が長い間離れていて元々は実家のあった海沿いの街に住むようになってから、自分が少なくとも退屈して過ごさないでいることに、思った通りとまではいかないまでも、まあそうなるだろうと感じていた。40を過ぎてから、病院にいる父親のことをないがしろにしている感覚を前より頻繁に感じるようになっていたし、そういうネガティブな感覚よりも、その街にいる自分のほうがイメージしやすいと思うようになっていた。

 最近はこういう昔だったらアパートと言っていた建物もマンションっていうようになったんですね、と内見をしたときには思ったマンションのドアの鍵をしめながら、頭の中ではもうマンションと言っている自分に気づいて面白がっている。
 駅前のチェーンなんだかローカルなんだかよくわからない飲み屋で、そりゃあんたのいたほうじゃマンションとは言わんだろうけど、こっちじゃあれがマンションだわ、と言われて、そういうのは地方だ都会だで変わる話じゃないだろ、いいかげんなこと言っとるな、と"使う"ようにしてもいいだろうと思うようになった慣れていないトーンで軽口もたたく。

 そういうことが"できる"ようになるくらいの時間が少なくとも経っていた。経っとった。あってますかね、これで、と声に出さずにつぶやいている。
― なんかねあんた、ニヤついて。
― いや、お前そもそもそんなこっちの言葉使っとったか。
― 使うぅいうか、こっちで働いとったら周りはあんたみたい向こうの言葉つかうのはおらんけ。そうなるわ。

 大学に通っていたころ、自分の高校が甲子園にでることになって、そのときに仲の良かった女の子と関西への旅行ついでに観戦にいったとき、球場の中にいる同級生から電話がかかってきた。
 電話のあとで、何か無理して方言話してるみたいで面白かったよ、と言われて、まじ、そうなんかな、と返すと、ほら今も、と言われて自分がどんな話し方をしているかよくわからなくなったそのときに、彼は方言を使う―あっているか、ということ考えるようになった。

 連れは家から奥さんが車で迎えにきて、また、と言って助手席に乗り込む。窓をあけて話しかけているのは奥さんで、藤屋くん今度は家に遊びにきんさい、と言っている間、さっきまで一緒に飲んでいた連れはフロントガラスの方を向いてぼんやりしている。彼はこういうのが地元の男っぽいと思う。
― いや、お前も何か言うんじゃないんか。
― さっきまで話しとったろうがね。
― はいはい、またね。

 駅のコンコースをわたって反対口から出て歩きだす。国道をわたって海の方に向かう低い山の陰の方に歩いていく。彼が住んでいるマンションを通り過ぎて、山の裾に巻き付いている細い道を歩いていると、前から車がやってきて、彼は舗装された道から体をどかして砂利のところで車が通り過ぎるのをまって運転をしている男性と会釈をかわす。ふと、『チーム友達』の契り!のフレーズを思い出して軽く吹き出す。

 下り坂をおりながら山の裾の道を抜ける。家並みを歩いているときに何度かテレビの大きな音が耳について、彼は祖母と同じように耳がわるくなった自分を想像してマンションの防音のことがはじめて気がかりになった。そのうちに波の音がきこえて、意識が波の音になる。マンションの防音も波の音も、風が吹くと鼻をつく潮のにおいも歩いていくうちに流れて忘れることになる。海岸に沿った坂道を少しあがるとテトラポットで敷き詰められた岸の小さな湾越しに父のいる病院の灯りがみえてきた。

 おじさん今日は寝られとるかね、と気遣うような地元の言葉が頭に浮かんだとき、一丁前の人間みたいなことを考えて、と茶化したような声が曖昧な声色で聞こえたように思えた。暗い海面の細かい波の反射から視線が動かせなくなった。

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heno
少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。

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