ずっと先の朝の見送り 2022年3月13日週次投稿
窓の方に、姿は見えずシジュウカラが盛んに鳴いているのに視線を向けつつ週次投稿を書きはじめています。
それを書いているうちにどこかに飛んでいったのか、よく響く声でした。
今週は先週の投稿で結局書けずじまいになった最近はじめた些細な習慣や、上の子がみた夢に関わるエピソード、他にも思いつけばということで。
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さて、習慣の話はどこから書けばいいかな。
その習慣をはじめるキッカケになった散歩での出来事のことを書いておこう。
ここ数ヶ月はほぼ在宅勤務が続いていて、趣味と元もとの通勤の時間の有効活用を兼ねて、毎日の散歩が習慣になっている。
自分と下の子の身支度と朝食を済ませた後、奥さんに行ってくるね、とひと声をかけて家を出る。
私が住んでいる住宅地と小さいマンション、小学校があるエリアから、国道を隔ててそれに加えて少し農地の割合の多いエリアへ、そのエリアを蛇行しながら大むね楕円形になるように40分から1時間くらい歩いている。
楕円形にいくつかパターンがあって、そのうちの一つに自分の中で雑木林コースと呼んでいる折返しに400メートルトラックが丁度すっぽりはいるくらいの高さ3メートルほどのフェンスで囲まれた雑木林を通り過ぎるコースがある。
家から雑木林までの道のりを、radiotalkの録音に頭をあずけるともなく歩いて、雑木林のフェンスの扉を開く前に、最近はイヤホンを取り外す。
その区画の端の、木が密集してないスペースでは年配の方がグランドゴルフをして遊んでいる。
木のチップが敷き詰められた網の目状の遊歩道を歩いていると、年配の女性が活発な声で何かリアクションをしているのが聴こえて、年齢を重ねて自分たちもここでグランドゴルフができたら楽しいかもしれない、と思うそのたちには学生のころからの友だちが同じように明るいリアクションをしているときの声が重なっている。何度も聴いている高い声。
たまに勤めている店に寄って、よっ、と声をかける。
「真面目に仕事してんの」
午後休なので、むにゃむにゃ。
こう書くと全然返事になってない。変えようもない。
雑木林を通り過ぎて、県道を渡る。
新しく建てている家の玄関先のまだ白い階段に座っている職人の紙タバコの副流煙をかぐ。タバコの習慣はないけど、いつ頃からか屋外の副流煙で気分が切り替わるのに気づいた。
変な癖だと思うが、食事の後や飲み会でうまそうに、またぼんやりとタバコをのむ友だちの顔を何度も見ているうちにそうなったんだろうと思う。
小さい頃の車の助手席で、運転している父が吸っているタバコの匂いは、車酔いの記憶と結びついて良いイメージはなかったはずが、不思議なものでその記憶の匂いでさえ心地良いものになっていて、同時に車酔いの気配の感覚も少しある。
住宅地の路地から遊具がいくつかある公園に入って、ストレッチができるように大人の背中くらいでまるまった器具で、休校中なのか小学生の男の子がボールを投げて壁打ちをしているのを横目に公園を通り抜けて角を曲がると、幼稚園の送迎バスが止まっている。
おじいちゃんとおばあちゃん、私と同じように在宅勤務なのかお父さんが家の庭の前に立って、小さい子と一緒に朝の挨拶をしているのが見える。
その子が少し高い園バスの階段をよいしょのぼって、車が出発して、角を曲がって見えなくなるまで、見送りの3人は道路にはみ出して両手たくさんに手をふって送り出しているのを見て、胸がいっぱいになる。
こんな風に見送ってもらっていたことを、その子が大きくなって、もしかしたら今の私くらいの年齢にも、もしかしたらもっと先にも、いつか思い出すこともあるだろう。こんなに色んなことを思い出すのだから。
影響をうけやすいので、それを見てしばらくしてから下の子の園バスの見送りをするようにした。
今日から出来るだけおれも見送るわと奥さんに伝えると、じゃあ私は出なくていいかな、と言ったので、いやこういうことがあったから一緒に見送ろうと、それから大体いつも見送りをしている。
その見送りのはじめの日、テンション高く喜んでいた娘は次の日になるとスンとしていて、笑ってしまった。
「ねえお父ちゃんもう見送らなくていいかな」
「わかんない!」
そんなの関係なく、バスがくるまでには見送りしてそのまま散歩に出られるように、以前より少し早めに起きて身支度と食事を終わらせている。
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上の子のみた夢のエピソード書けず。
ではでは