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さっぱりした身体で、日々を動かす 秋豆絹
今日、私は久しぶりにホカホカの身体だ。しっかり湯舟に浸かることができたのだ。
最近は仕事が再度カオスになり、毎日宇宙が広がっている。
不衛生な話で申し訳ないが、私は疲れすぎると自分の生活がまともにできなくなる。冷蔵庫の中の野菜に手を出せないまましおらせてしまう。納豆も卵も手軽に使える豆腐でさえも賞味期限を切らしてしまう。洗い物も洗濯物も溜まってしまう。ご飯を食べて21時に布団でうとうとしてしまい、次に目を開けたら1時、そこからは20%の出来でしか入浴が出来なくなる。しかも20%の出来なのに寝る時間が遅い。
会社でもその日暮らしの仕事が降ってきて、本来の業務の適切な完了タイミングを逃してしまっているのに、家でもすべての時機を逃してしまうこの状況に、本当に嫌気がさす。
ただ、今までも仕事が忙しくなったり、自分のペースを無視して頑張らなければいけないときはあったので、そういうときのための緊急回避策は考えていたのだ。
例えば、あじさいを思いがけず初観測して季節を感じたり、家でお茶を入れてみたり、休日、気になっていた喫茶店に入ってみたり、少しでも暑かったらクーラーを入れてみたり。
でも今日、本当に久しぶりに1日を家で過ごし、洗濯物をして、掃除機をかけて、排水溝を綺麗にして、床に散らばっているものを元の位置に戻して、お米を炊いてご飯を作って、湯舟に浸かって。
そうやって身体がホカホカになった状態で自然にnoteを開いたとき、
やっと自分の時間を取り戻すことができたと感じた。
と同時に、緊急回避策として登場した今までの時間や物事は、このカオスさえなければ、純粋に特別な時間として心を潤すはずだった、カオスの火消しに消費されるだけの道具に成り下がらせてしまったことに気づき、悔しくて悔しくて仕方がなくなってしまった。
「私は ちゃんと自分の位置で生きていない気がします」
今日、夕飯を食べながら好きなドラマを観ていたときに出てきた台詞に、言い当てられてしまった。
ここ最近の、いや、数年間の私は、本来の位置で生きていないような気がしている。
本来の位置で生きていきたい。自分の時間を自分で動かしたい。
この温まった身体で、考えていることを言葉にしたり何かをしたりしなかったりする瞬間をもっと大切にしていきたい。
私もちゃんと自分の位置で生きられるよう、日々に向き合っていきたいと思った一日だった。
自分が大事にしたいと思っていることが少しわかった、気がした。