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筆を握らされているのではなく 秋豆絹

「あなたにしか書けないものを書きなさい」

どうしても忘れることができない言葉である。

その時は、小学校の国語の授業で詩を書いてみよう、という時間だった。
当時、触れる詩といえば、草野心平や谷川俊太郎、相田みつをのような、素朴で澄んだ印象のあるものだった。
周りの子達よりも上手く書きたいと思った私は「そんな雰囲気で書けばいいのね」と詩へのイメージを保ちながら、それなりに時間をかけて書いてみせた。
褒められちゃうかもしれない、と幼稚な期待を膨らませ、出来た原稿用紙を先生に提出した。
そして、返ってきたのがその言葉だった。

それ以来、私は何かを書くとき、この言葉に追い立てられることになる。
ありきたりなものになっていないか、お約束の展開になっていないか、一言一句に自分の存在価値の手綱を握られているようだった。


大学生も中盤を過ぎてから、エッセイを読むようになった。エッセイは人によって書く内容もその文体も全く異なる。でも不思議と、自分らしくたらんという苦しさは感じられなかった。
それ以上に自由だった。そんなことも筆に起こしていいの?と驚きの連続だった。

それなら、もう何も気にせず書きたいことを書きたいまま書いてみよう。たくさん形にして、ヘンテコなものもピカピカなものも残していこう。そう思えるようになった。
だから私はこれからも、へつほついろんなものを書いていきたい。さしづめ徒然草のように。

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