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なりたい≦見ていたい 秋豆絹
近日、念願のパーソナルカラー診断を受けに行く。
今回は顔タイプ診断・骨格診断も含めた3点セットとなっており、総合的に自分の外見の特徴を分析してもらう予定だ。
診断に際して、お店の方から公式LINEで事前にアンケートを提出するよう承った。
診断のきっかけや普段のメイク・ファッションの悩みなど様々な質問があり、サクサク答えていく。
しかし、最後の質問、「芸能人などなりたいイメージはありますか?」がなかなか書けないのだ。
実は私はかなりの女性アイドル好きであり、「この子可愛い〜この子も可愛い〜」と日々悶え苦しんでいるのだが、「なりたいイメージ」と言われると全然ピンとこない。
一方で、自分が男性だったらなりたい男性芸能人はなぜか山ほどいる。
まず、来世は吹奏楽部でファゴットを吹いている理系大学院生向井理に転生する野望を数年前から掲げている。
仮に現世で希望が通るならばなにわ男子の大橋和也さんや神木隆之介さんにもなりたい。
さらに、自分が男性だったら着てみたい服の雰囲気もめちゃくちゃ明確である。
まとめると素朴かつお洒落で眼鏡の似合う少し人たらしな男性になりたい。
…さあ皆さん、この戯言について来れているだろうか?
男性ならばこんなにもかなり的の絞られた願望が思いつくのに、女性芸能人だとどうも思い浮かばない。
そこで、この現象の仕組みについて考えてみた。
恐らく私は男性芸能人に比べて、女性において魅力的に感じる範囲が広すぎる。
そして、普段気に入って見ているアイドルや芸能人に自分を重ねて見ることがあまりない。
まず、魅力的に感じる範囲が広すぎる、という点について。
簡単に言えば橋本環奈さんも黒木華さんも菜々緒さんも感心してしまうほど可愛い・魅力的だと思うのだ。
その人の持ち味を最大限に生かしてその人だけの美を突き詰めていればそれだけで「うお〜可愛い、すご」となる。
それが清楚系・地雷系などのコンセプトを意識したものであっても、その人の元々の特徴とのシナジーがあれば、ブレない世界観を作り上げた素晴らしい芸術だなと感じる。(なお、元々の外見の要素から離れた方向性に舵を切るのも素敵だと理解している)
ただ、それは自分がそれになるかどうかという観点が完全に抜けている。
これが次の理由につながっていく。
毎日女性アイドルのコンテンツに触れているにも関わらず自分の目標像が目立って居ないのは、普段見ているコンテンツに対して重点的に期待しているのが「その魅力のバリエーションの多さ」だからではないか。
先ほどの自身の魅力を突き詰めた可愛さ美しさは人の数だけ種類がある。
それをコレクションすることに意義を見出しているのであって、「こうなりたい」を主眼に置いて検索していないのだ。
仮に髪型であったり雰囲気であったりを拝借したとしても、あくまでその要素はその人だからこそ輝くのであって、私に据え置いた途端ただの飾りになってしまう。
逆にいえば、その魅力を維持するためには、私であるという前提条件を無視してこの人になりたい、と思うことになってしまい、元も子もなくなるのだ。
とはいえ原因を一旦は解明したところで期日は刻一刻と迫っている。
この際いい機会だと思って「誰だったらフィットしそうですかね?」と聞いてみようかしら。