不随意の性的興奮についての真実(TED)
こんにちは!鋭意制作中のこんにちは世界ですこんにちは。…鋭意、制作中ですが、皆さんをちょっぴり驚かせるような読書体験の仕掛けを模索中。読み慣れた人にこそ「なんだこれは」と思ってもらえるような、何かが欲しい。うーん、うーん…どうか気長に、お待ちください…。
さて、今回は本当にただの小文です。最近、琴線に触れた二つのTED Talks をご紹介。
という…ええと、創作書き手の皆さんは、自分の書いたお話を読み返して泣いちゃうことありますか…? 恥ずかしながら私はあるんですね、「王さまとたね」も書きながら泣いてました(!)し、未だにたまに読み返すとホロっとします…。うーん相変わらず暑苦しくて愛が深すぎますが、まず私が愛さなくて誰が愛するというのでしょう。少なくとも私だけは熱烈な読者でいたい。ええ。まあ、そういう流れで私は「蓮という人(の、素描)」のセットをたまに読み返し、記念式典に貼った児童憲章を読み返し、読み返しながらうるうるしてるんですが(←)、さらにその流れで澪里篇を読み直していて、ふと、エミリー・ナゴスキのTED Talks を視聴しました。(澪里が好きなかた、必見です!)
そう。私たちは人間性を尊重する以上自由で、自分が変わっているかも、自分は素直でないかも、などと疑問に思う必要はないはずなんです。私たちそれぞれに、それぞれの人間性があることは、普通の、当たり前の、特に言うまでもないはずの、ことなんです。
※ついでに恋愛のトークも視聴。これもなかなか味がありました。
はい。紹介でした。
以下、これらの動画に纏わるような纏わらないような、余談…
私、「蓮という人(の、素描)」ですね、実は大変な気に入りようでして、シリーズテーマにしてた、こちら↓
を聴きながら、だいたい上巻の半ばらへんと、中巻の最後のほうで、泣きそうになっちゃうんですね。まあ長いんで(笑)、そこは頑張って、上中下と読んで下巻の最後、穂南海の
「蓮、お誕生日、おめでとう。えっと…あのね蓮…毎年、この日になると、思うんだ。生まれてきてくれて、ありがとう。やっと会えたって思った、あの時と同じ気持ちで、毎年、嬉しいの。だいすき。愛してる。愛してるよ。抱きしめたい。またね」。
までくると、人を愛するということのどうしようもなさと、かけがえのなさが、どっと押し寄せます…。(そしてこのセットとの出会いって、書き手としての私にはとても大きかったんだなって、思うので、タグ企画にも、参加してみます。てへ。)
ね、こんなに素晴らしく、そして、こんなに、どうしようもないもの…。
『七つの習慣』だったと思うんですが、妻を愛せない男性が、とはいえ別れられないと相談に来て、コヴィー博士が「愛しなさい」って言うシーンがある。「でも先生、私はもう彼女を愛していないんです」と男性は言う。「どうしても別れるわけにはいかなくて、愛していれば別れずに済むんですよね? それほど複雑な話ではありません。彼女を愛しなさい」。(うろ覚えです、すみません)
欲望って矛盾してるんですよね。だから、あっち、こっち、って立てようにも立たなくて、翻弄されちゃう。したいこと100個書くというのがありますね、あれ、書いたあと、矛盾する「したい」にマーカー引いたことありますか…? いやはや、欲張りなのか、浅はかなのか…ね。欲求と自己一貫性ってすごく、難しくて、けれどもだからこそ、自己一貫性ってとても尊くて、だから、愛を貫くことに人間性を感じる時、私は人間を描けている気がしています。そう、私は欲望を描きながら、人間性を描きたい。欲求と葛藤する人間を描きたいんではないんです、人間が自分の意思で欲望する瞬間を書きたい。難しいかもしれないけれど、それでも。
なんだか今日は、脈絡があるようなないような詰め込みかたになってしまいました…。
人間が自分の意思で欲望する瞬間を書きたい。
今日の小さな、決意表明です。
澪里が語る柚希:
柚希が語る澪里: