トラウマが0になることは無い
性被害の自助グループに参加して、PTSDの症状から回復することが、いかに困難でしんどいことか再認識することができた。
自分に起きたことを何度も振り返った。
言葉にしがたいフラッシュバックの恐怖と、はかり知れないほどの複雑な感情に支配される。頭の中はぐちゃぐちゃに混乱して、学校や仕事、食事や睡眠など、あたりまえの日常生活が出来なくなり、孤独に苦しみから逃れたいと願い、抜け出せない現実にまた絶望した。
性暴力は絶対に許せない。
自助グループで他の人の体験を聞いて、「私は異常ではない、これは当たり前の反応だ」と自分に伝えることができる。自責ばかりで苦しかったが、「私はよくやっている」と労わることができる。
これは私にとって大きな成長だと感じた。
それでも何かモヤモヤする
私はどうしたいのか、
私の苦しかった過去を理解してもらい、大変だったねと労って欲しい気持ちもあるかも知れない。
しかし、どうしたって他人に私の苦しかった気持ちを全て理解してもらうことなんて出来ない。全てを思い通りに話せるだけの話術や文書力をもっていない。そもそも話せる人間がいない。話せたとして相手の負担も大きいし、何よりリスキーだ。
まして、不幸自慢のようになる可能性もある。私はこれだけ辛い経験をしたのだから、多少良くない結果だったとしても許してほしい。そんな風にはなりたくないが、無意識に甘えに走ることも考えられる。社会は残酷かそれとも平等なのか、全ては客観的に評価できる結果のみで判断される。
そして、マイナスだった状態から限りなくゼロに近づいたとして(それが既に奇跡で、褒めちぎっても足りないくらい)、それでも絶対にゼロになることは無いし、プラスになることもあり得ない。
私には自助グループが必要で、どれだけ救われたか、感謝しても仕切れない。
しかし、どれだけ自分を癒やして、自責の念を持たないようにしても、トラウマと向き合って回復していると感じてもそれはプラスではない。回復することは生きるために必要であっただけ、私が望んでいた人生ではなかった。
じゃあ、無かったことにして、新たに人生を始まれば良いじゃないか、
理屈はそう
だけど、起きたことは事実であり無くすことはできない。この問題に目を閉じて無関心に生きていくこともしたくない。
上から蓋で抑えられて、閉塞感でしんどくなる。
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