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お願いだから、一緒に幸せになろうよ

 わたしはふたり姉弟なんだけれど、はじめの子ということもあってかずっと『お兄ちゃん』にあこがれていた。お兄ちゃんがいる友人がうらやましかったし、なかには年齢が十五近くも離れている子もいて、それはいったいどんな風なんだろうと思っていた。

 大学に合格し、進学が決まっていた春のことだった。高校も卒業してしまったので、高校生でもなく大学生でもなく宙ぶらりんの、なんだか妙な気になる春だった。母の実家である盛岡の祖父母の家にひとりで遊びに行ったとき、ふたりの口からあまりにもあっさりと、わたしにはわたしの知らないきょうだいがいるらしいことを伝えられた。

 父の前妻、前々妻、そのまたもうひとつ前の奥さんの子どもということらしい。父にバツが三つもついていることがそもそも驚きだけれど、名前も顔も知らないのに血だけはつながった人間、というのが自分にいることがなにより不思議だった。

 つまりわたしには、長年のあこがれであった『兄』が、それも相当に歳の離れた兄が形式上存在することになった。ところが結局のところ、あんまり興味がなくて話を聞いたきり知ろうとも会おうともしていない。まあ、自分を捨てたといっても過言ではない父親の娘が突然現れたって、向こうからしたら迷惑千万だろうしね。

 血のつながりにこだわりのあるひとだったら、自分と半分血の繋がったひとがいる、という事実だけでそのひとに会いたいと思うものなんだろうか。わたしの家族は胸を張れるほど仲の良い家族だ。しかさ「血縁」というものに対しての意識がやたらと希薄なんである。血は水よりも濃い、なんて言葉があるけれど、あれには少しゾッとするくらいだ。

 事実、家族といえど他人だからな、と育てられてきた。別に冷たい意味ではなく、別々の肉体と思考をもった生い立ちの異なる人間たちがひとつ屋根の下で暮らしているんだという意識を持て、ってことで、そういうこともあってわたしは血縁関係にある人間だろうがなんだろうが他人なんだよな、と思って生きてきた。

 いくら血がつながっているって言ったって、生まれてから二十年近く顔も知らない人間なんて、わたしにとっては赤の他人もいいところだ。お兄ちゃんには憧れていたけれど、憧れの輪郭を美しく作り上げる程度のロマンしか持ってなかったらしい。『血の繋がったお兄ちゃん』はきっとこの先も、顔も名前も知らないままのひとであり続けるんだろう。

 ところで、久々に心にくるタイプの本を読んだので、だらだら感想を書こうと思う。

ケラリーノ・サンドロヴィッチ著 消失/神様とその他の変種

 KERAさんの作品において、一般的に悲劇として扱われる題材のなかであえて確信犯的に笑いを生み出す手法を「シリアス・コメディ」と呼ぶらしい。この本に収録されている『消失』はまさにそのシリアス・コメディ、で、聞くところによるとKERAさんの戯曲のなかでも最高傑作と名高いようだ。演劇畑の人間ではないのでそういったことには明るくないんだけれど、正直この話はシリアスとかコメディとか言っている場合じゃないくらいしんどかった。

 なるべくネタバレしないように書くつもりだけれど、いかんせん戯曲なもんで、ひとによってはセリフのひとつひとつがネタバレになってしまいかねないため、未鑑賞あるいは未読、もしくは今後その予定がある方に関しては各自ご判断をよろしくお願いします。

 いつの時代のどの国かもわからない、とにかく『第二の月』の名を冠す人工衛星が打ち上げられ、戦争が終わった後の世界で、ある兄弟が再生を図ろうとする、というのがあらすじである。

 すべてを読んだあとの感想としては、虚脱感とか喪失感とかいったものがドバッと押し寄せ、ものすごいものを読んだなという知識的な満足と、あまりの救いのなさに読まなければよかったという後悔の間を心がいったりきたりしている。善人による善意がもたらす悲劇を描きたかった、と作者が語っているように、登場人物の全員があまりにも善いひとすぎて、物語の中に起こるさまざまがその善意の空回りであることが明らかになっていくのが目を覆いたくなるくらいにしんどい。

 あらすじにある『再生を図ろうとする兄弟』という一見希望のある文言すら、すべてを知ったあとではむなしいばかりだ。

 テーマソングとして添えられているのがタートルズの『Happy Together』なんだけれど、物語を知ったあとに聞くと虚脱感をさらに加速させてくる。一方的な愛情をうたったいわゆる片思いソングが、『消失』と交わることであまりにも切実で悲痛な「一緒に幸せになろう」になった。

 ざっくり言ってしまえば兄弟愛の物語だ。愛なんだか執着なんだか懺悔なんだか畏怖なんだかはわからないけれど、たぶん愛だ。ただその愛の空回りが、見る(読む)に堪えない救いのなさで、『消失』のタイトルの通りさまざまが消えていくにつれ客の首をどんどん絞めていく。どんどん息ができなくなって、もうダメだ意識が消えそうだってときにパッと首に回った手が離れ、呆然とする間もなく緞帳が下ろされる。あまりにも哀しいのに、涙を流すことすらできなかった。

 わたしは戯曲で初めてこの物語を知ったものの、これに人間の肉や声や感情が乗っかったものを見たらどうなってしまうんだろうか。シリアス・コメディというだけあって笑えるセリフ回しもあったし、きっと演出によってより面白おかしく仕立てられてるんだろうと思う。ただきっと、笑えば笑うほど後味の悪さは増幅するに違いない。マシーン日記を見たときみたいな。

 初演の映像がDVDになっているようだけれど、今となってはどこでも手に入れることができなさそうなのが残念。もし万が一手放すよっていうひとがいたなら、ぜひ一声かけてほしい。たぶんそんなひとはいないだろうが。だって戯曲のみを読んでも十分、ひとを打ちのめす力があるような物語だったから。

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