マガジンのカバー画像

エッセイ

8
書きながら考える。深みのあることを書きたい。
運営しているクリエイター

記事一覧

【エッセイ】正義とは何か

【エッセイ】正義とは何か

 小さい頃から正義には漠然とした印象はあったが、思想として決定的な影響を受けたのは、やはりNHKのテレビ番組「ハーバード白熱教室」(2010年)を見たためということになる。ここでマイケル・サンデル氏と学生達との熱氣を帯びた議論や問答がとても面白かった。この講義で一貫したテーマが正義だった。そこから様々な議論が展開された。

 正義は一般的には、誰にとっても正しいことだと思う。だが、本当にそれが正義

もっとみる
【エッセイ】「勧酒」に寄せて

【エッセイ】「勧酒」に寄せて

「勧酒」

于武陵(井伏鱒二訳)

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトへモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 酒を飲む者にとってこの「勧酒」は身に沁みる。人生が行き交う酒の席。下戸の人はこの席に同席しているだけでいい。無理に飲む必要はない。要は互いの人生を語り合えればいい。これは各々の信念に関わるところ。そこへ「コノサカヅキヲ受ケテクレ」と自分の好意を示す

もっとみる
【エッセイ】私の死生観

【エッセイ】私の死生観

 死とは宇宙の無限小に還るものだと思う。母なる宇宙に。身体の形がなくなるものだから。残された生きている人達に別れを告げ、影ながら見守る立場になる。また、今生きている生をいったんそこで区切るものでもある。有限の生。死を考えることは、生きることを考えること。死を考えることで、今の生が輝き始める。死は避けることができない。私だけでなく、総ての人達にも言えること。死があるから、掛け替えのない生となる。

もっとみる
【エッセイ】知的探究とは何か

【エッセイ】知的探究とは何か

 日常、生活をしていて、問題が起きることがある。私なら、書く材料がなくなったという問題。文章を書きたい私にとっては問題である。そんなとき、そうならないためにはどうしたら良いかと考える。問題解決のための知的探究と言ってもいい。

 西洋哲学では古代ギリシアのプラトン以来、知的探究を、探究対象の<想起>として理解しようとする哲学的な伝統がある。例えば、良い文章を書くためにはどうしたら良いかと考えたとき

もっとみる
【エッセイ】認識について

【エッセイ】認識について

 今、同じ場所で、私が見ている赤いコップと、あなたが見ている赤いコップは、本当に同じ色だろうか。
 対象の色を言葉でこれは「赤」と決めてしまっているから、同じ対象であると通じるのではないか。人それぞれの知覚に若干の個人差はあっても。この色の特定のように、認識とはある程度の幅のあるパターン(ルール)で人間の見方をくくっていることだと思う。言葉で。人の間の中での認識を。だから、同じ対象を他人と共有する

もっとみる
【エッセイ】私の哲学観、私の生き方

【エッセイ】私の哲学観、私の生き方

「分からないけど、分かりたい」

 私にとっての哲学はそういう存在。現象の根源へ。分からないからといって投げ出さず、分りたいという好奇心をかき立てられるもの。私の興味の趣くままに。分かったような氣になることもある。だが、それはあくまでも仮固定。最終的な結論ではない。それだけ、哲学は奥が深い。いつも未知の謎が残る。哲学にも流行がある。そのときは流行っていても、時代とともに廃れることがある。それでも、

もっとみる
【エッセイ】好きと嫌いと幸せと

【エッセイ】好きと嫌いと幸せと

 人は生まれたからには生きなければならない。せっかく生きるのだから、充実して生き生きとした生活を送りたい。自分は何に喜びを感じるのか。それをどう生活に生かすのか。

 やりたいことが出来れば良いのだが、それが定まっていないことがある。趣味と仕事を分けて考えることはよくある。仕事と趣味が同じなのが理想ではある。だが、趣味を仕事にすると、楽しめなくなることもある。喜んでいたことを仕事にすると、それが苦

もっとみる
【エッセイ】愛のことを

【エッセイ】愛のことを

 愛とは元氣づけることだと思います。自他共に対して。
 例えば、恋人が風邪を引いたとします。恋人の風邪は自分の愛で治るわけではなく、やはり風邪薬で治します。ただ、その恋人の看病や身の回りの世話をして元氣づけることはできます。これが愛と呼ばれることではないでしょうか。看病して恋人が元氣になっていく姿を目の当たりにすると自分も嬉しい。

 こんな話もあります。マザー・テレサの「死を待つ人の家」の住人達

もっとみる