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大盛と独り立ち

そろそろ“冷やし中華はじめました”という文字が
街中の飲食店に掲げられ始める時期になったが
それとは逆に私は最近あるものをやめた。

何をやめたのかというと“大盛”である。

飲食店などに行くとよく見かける
ご飯大盛無料、麺大盛無料のようなうたい文句。

これまで私はその文字を見れば無条件に
「お願いします」と受け入れてきた。

私は別に大食漢というわけでもなければ
食に強い執着があるわけでもない。

しかし、子供の頃から「大盛にしますか?」と
聞かれればずっと大盛にしてきたし、
なんならそうしないことはもったいないような
気すらしていた。

ここまで読んでくれた方なら心の中で
「はいはい、歳をとって食べる量が減ったのね」
と結論を予想しているかもしれないが
残念ながらこの記事の結論はそれではない。

では私がなぜ大盛をやめたのかを
話していこうと思う。

先日も別の記事で書いたが、私は今から2か月ほど前から
筋トレを再開した。

かれこれ10年以上前に本気で筋トレしていた頃から
明らかに鈍ってしまった体に嫌気がさしたからである。

トレーニングを再開すると
嫌でも食べるものにも意識を向けるようになる。

最近はたんぱく質ブームらしく、
コンビニなどで買う食品にも含まれている
たんぱく質の量をうたうものが増えたが
筋トレを再開してからというものの、
このようなうたい文句が書かれた商品を
選ぶ自分がいた。

そんなある日、出張に出た先で私は
とあるラーメン屋に入った。

その時には私は店員の私語が気になって
そのことを記事に書いたのだが、
実はこの時に私はラーメンにライスをつけるかどうかを
悩んでいた。

いつもこのラーメン店チェーンに来ると
食べるものは決まっているのだが、
ちょうどトレーニングをし始めて1か月ごろだったので
ラーメンと何かタンパク質の含まれるメニューを
頼もうと考えていたからである。

ところが、次のアポイントまでそれほど時間もない。

迂闊にから揚げなどを頼んで、商品が出てくるのが
遅くなってしまっては慌てて食べねばならない。

だがラーメンだけでは物足りないと感じてしまうかもしれない。

そうして一瞬悩んだのだが、私は結局ラーメンだけを
頼むことにした。

ほどなくしてラーメンが運ばれてきた。

相変わらず美味しいラーメンの味に
舌鼓を打ちながら、私はラーメンを食べ進めた。

そして、食べ終わり箸をおいた時に
食べ足りないと感じていないかを自分に問いかけた。

すると不思議なことに全く食べ足りないという感覚は
なかったのである。

最初私は自分の食べる量が減ったせいだと思った。

過去に諸先輩方が「40辺りで急に食べれなくなる」と
言っていた言葉を思い出したからである。

しかし、家で食べる量は何も変わらないし、
私自身食べる量が減ったという自覚もない。

なんなら筋トレを再開してから
食欲が少し増えたのではないかと思うぐらいである。

ところが、私のお腹はラーメン一杯で
十分に満ちてしまったのだ。

これは一体なぜだろうか。

そう考えたときに私の中で一つの仮説が生まれた。

“もしかすると元々私はラーメン1杯で
満ち足りる胃だったのではないか“

冒頭に書いたように私は物心ついたころから
大盛無料といわれれば無条件で大盛を頼んでいた。

もちろん思春期の頃には純粋に食べたいという
気持ちが強かったか選んでいたのだが、
それよりも小さい頃には私はあることが嬉しくて
大盛を頼んでいたような気がする。

それは何かというと親の笑顔である。

自分が親になってみてよくわかることだが
子供が思い切りご飯を食べるのを見るのは
親として嬉しいことの一つである。

最近サッカーに夢中で練習が終わったあとに
お腹を空かせた息子が食事をがっつく姿は
見ていて気持ちいい。

私の親もまさにそうであった。

私が大盛を頼むと
「あんたよく食べるなぁ」と言いながら
ニコニコしていた顔が頭に浮かぶ。

そしていつからか私は自分の為ではなく
親の為に大盛を頼むようになったような気がするのだ。

子供の頃に外食に行くとなると必然的に
親と一緒になる。

親の期待に応えるように私は大盛を頼み、
知らぬ間にそれがクセになっていた。

歳を重ねるごとに親と外食に行く機会は減り、
そして実家を出てからは親と食事をとる機械すら
稀になってしまったが、
それでも大盛グセは抜けないままアラフォーになってしまった。

そして、先日のラーメン屋で私は
ラーメンだけで満足する自分を発見した。

昨日、私は出張先でとある飲食店に入った。

定食を頼むと、店員さんが私にこう聞いた。
「ごはん大盛が無料でできますが、いかがなさいますか?」

私は颯爽と「いえ、結構です」と答えた。

長年続けた習慣なので、こう答えても
“もしかして足りなかったらどうしよう”という
気持ちが出てきてしまうが、
実際食べ終わってみると先日のラーメン同様
私は十分に満足していた。

これは私にとって一つの独り立ちである。

独り立ちの定義は色々あるだろうが、
自分で考え、自分の意思で物事や行動を決めることを
独り立ちというならば、
間違いなくこれは私にとって独り立ちなのだ。

もしかすると諸先輩方が40前後で食事を食べる量が
減ったのは、
私と同じように自分が本当に欲しいと思って大盛を
食べていないことに気が付くからではないだろうか。

そう思うとこの歳は独り立ちできる人が
多い歳なのかもしれない。

40歳付近は男性にとっては役職も上がり
健康的な異変を感じることも多い年齢である。

いわゆる厄年がこのあたりの年齢なのも
ある意味で本当に自分で人生を選択するように
なるからなのであろう。

今年の誕生日で40代に足を踏み入れるが
今から自分の道を歩くことが楽しみで仕方ない。

この話の冒頭で
「歳をとって食べれなくなっただけだろう」
と思ったあなたは、
もしかするとまだ独り立ちできていないのかもしれない。

次に飲食店で大盛を勧められた時には
本当にあなた自身が大盛を食べたいと思っているか
自分に問いかけてみてほしい。
元々大食漢な方には意味がないかもしれないが。


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