緊張とアドラー心理学
今週は1週間まるまる海外の人たちと
打ち合わせのために缶詰めになっている。
昨年2度ほど海外に行ったが、
その際に参加した定期ミーティングのホスト国が
今回は日本になったからである。
しかも彼らのアテンド役として
同じホテルに宿泊までしているので
実質終日彼らと一緒に過ごしていることになる。
過去に2度同じような会議で
同じ時間を過ごしたので
彼らとはかなり親密ではあるが、
今回は開催国の担当として
色々な気を配らなくてはならない。
昨日で2日目であったが、
私は既に疲れを体感していた。
そんな中、何とか打ち合わせを進めていると
突然予定にないプレゼンをすることになった。
資料自体は元々準備していたのだが、
いきなり彼らの前で英語でプレゼンをするのは
さすがに慌ててしまう。
準備をしながら話す内容をざっと思い返し、
プレゼンを始めた。
内容は頭に入っているので
出だしまでは問題なかったのだが、
2枚目のスライド辺りで急に緊張が出てきた。
緊張の影響で言おうとしていた英単語が出てこなくなり
プレゼンがスムーズに進まなくなり始めた。
そんなとき、プレゼンの中でサンプル品を
見てもらいながら説明するスライドがやってきた。
サンプル品を取り出して彼らに手渡す。
グループ企業で同じような商品を
作っている人たちなので、サンプル品を見始めると
夢中になっていた。
ある意味これは自分の緊張をコントロールする
いい機会である。
そこで私は自分がなぜ緊張しているのかを
考えてみた。
別にグループ企業の人が相手なので
このプレゼンが上手くいかなかったからといって
何か問題があるわけではない。
しかも、色んな国の人が集まっているので
綺麗な英語を話す必要もない。
にもかかわらず私はなぜ緊張しているのかを
考えてみると、
私の心の中に「自分の成果を認めてほしい」という
欲求が隠れていることに気が付いたのだ。
ではなぜ私は彼らに自分の成果を認めてほしいのだろうか。
それは自分の成果を認めてもらうことで
もっとグローバルでの自分の存在感を
高めたいと思っていたからである。
では、このプレゼンで私がすべきことは
一体何かというと、
自分を良く見せる事ではない。
プレゼンの内容を的確に相手に
伝えることのほうが大切なはずである。
英語も決して流ちょうでなくてもいい、
大切なのは中身がどうかだけなのである。
そう思うと不思議なぐらい緊張が消えていき、
後半は自分の思うようにプレゼンを
進めることができた。
結局のところ、私たちは相手にどう思われるかを
コントロールすることはできない。
外見を磨いたり、態度を変えるなど
できる事はもちろん沢山あるが、
どうあがいても自分のことを良く感じない人は
一定数いるものである。
あくまで判断するのは相手のタスクなのだ。
相手のタスクを一生懸命自分で何とかしようとするのは
まさにアドラー心理学的にいう課題の分離が
できていない状態である。
わたしはこの考え方に出会ってから
緊張するシチュエーションに遭遇しても
それをコントロールすることが
できるようになった。
もちろん、それでも緊張してしまうことは
多々あるし、うまくコントロールできないときもある。
しかし、以前に比べてその頻度は明らかに減った。
正直アドラー心理学の考え方は
なかなか受け入れにくいもの多い。
課題の分離も徹底すると
なんだか人間味のない冷たい人に
なってしまう気もするが、
私たちは課題の分離をしなさすぎるがゆえに
苦しんでいるのではないだろうか。
相手の感情をコントロールしようとしたり
相手の性格を変えようとしたりして
悩んでしまう。
これは雨が降る日に雨をやませようと
祈祷をするようなものである。
自分にはどうしようもないことに
一生懸命エネルギーを使うのは
あまりにもったいないことではないか。
それならば、そのエネルギーを
自分が変えられるものに向けるべきなのである。
今回プレゼンを途中から修正することができて
改めて課題の分離の大切さを感じることができた。
まだまだ今週も中盤戦ではあるが、
海外の人たちとの交流で学ぶことは
色々とありそうである。