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野草を食べる暮らしは生きる安心感を与えてくれる

 野草への興味が高まってきたのは、若杉ばあちゃん(若杉友子さん)の『野草の力をいただいて』という本を読んだ頃でした。

 若杉ばあちゃんが道端の野草を摘んで嬉々としている様子を写真で見て、自分とは異世界で生きている感じがしましたが、いつの間にか自分も、道端や庭で野草を採取して食べるのが当たり前のようになっていました。

 最初の頃は、ヨモギを摘んで食べるのですら、ちょっとヒヤヒヤしながらでした。本やネットで見ていると、いろんな毒草も出てきます。キツネノボタンという毒草があり、これとヨモギを間違えかねないなぁ…とか。ヨモギは葉の裏側が白いのが特徴的で、よく確認すれば間違えることはないはずだけど、それでも最初の頃はヨモギの中に別のものが混じっていないかとか、かなり慎重に採取して食べていました。

 香川に来てから、ますます野草に助けられています。冬が明ける頃になるとフキノトウが姿を見せ、フキノトウ味噌にして春の到来を喜びます。カラスノエンドウやスズメノエンドウの葉っぱ、ハコベ、タネツケバナ、ノビルも食卓に上ります。タンポポの花びらもサラダに彩りを与えてくれます。

 香川に来て、初めてイタドリを食べました。最初、水に浸してアク抜きしたつもりが、かなり酸っぱくてびっくりしました。これは下ごしらえが大変だと思って半ばあきらめていたのだけど、とあるマルシェでイタドリのお惣菜を売っている方がいて、食べてみたらメンマのような風味と食感でとても美味しく、自分が料理したのと大違いで再びびっくり。この味をお手本にして再度イタドリ料理にチャレンジし始めたところ、そのうち上手にアク抜きして美味しく食べられるようになりました。まず、皮を包丁やピーラーで剥いてから、塩をまぶしてまな板の上で板ずりし、水に浸しておきます。毎日水を替えながら、時々ちょっと食べてみて味をチェック。酸味をどれだけ残すかは好みの問題で、好みの酸味になったら下ごしらえ完了。あとは、煮るなり炒めるなり。うちではほかの野菜と一緒にグリルすることが多いです。味噌や醤油麹もよく合います。

 初夏の頃、家の周りでタケノコが次々に生えてきます。タケノコというと、自分で採るようになるまでは、既に皮を剥かれたものしか見たことがなく、初めて孟宗竹のあの毛むくじゃらのタケノコを見たときは圧倒され、恐怖さえ感じたものです。

 タケノコの皮の剥き方も、コツがあります。最初の頃、一枚一枚剥いていたのだけど、何本も皮を剥くとなると、けっこう手間も時間もかかります。ある時、森林ボランティアの先輩から、縦に包丁を入れると速く剥けると教わり、その通りにすると何倍も速く皮を剥けるようになりました。一人でやっていると、同じやり方を続けてしまいがちだけど、仲間たちとの共同作業やおしゃべりの中でアイディアをいただくことが多々あります。

 春から初夏にかけて、桑にも助けられています。桑は冬には葉を全部落とし、暖かくなってくると、若葉をつけます。桑の若葉はクセがなく、野菜感覚で食べられるのを知ったときもびっくりでした。若葉はあっという間に大きくなり、実も成ります。赤い実が真っ黒に熟した頃が食べ頃で、畑仕事の後のうれしいデザートに。昔の子どもたちは、口を真っ黒にして桑の実を食べたと聞きます。最近はそんな子どもを見かけないけれど、ぼくは口を真っ黒にして畑から帰ります。大きくなった桑の葉っぱは、蒸して乾燥させると桑の葉茶になります。それを土鍋で煎ってミルで粉砕し、桑の葉パウダーにすると、緑茶風味になるのが不思議です。自家製パンやパンケーキなどに混ぜて食べています。

 一時、ヤエムグラという野草にもはっていました。その頃、リンパにたまった毒を排出することに取り組んでいて、庭のたいこちに大量に生えているヤエムグラがリンパの流れを促進するという情報を得て、これだ!と思って食べていました。若いヤエムグラは生で食べてもクセがなく、サラダで美味しく食べられて、炒めるとさらに野菜感覚で食べられます。ヤエムグラは関節炎にも効くという話があり、当時、ギターの練習で指を痛めたり五十肩みたいな症状で困っていたりした頃で、そんなぴったりの野草が急に庭で増えてきてびっくりしたのですが、庭にはそこに住んでいる人に必要な草が生える、という話も聞きます。

 身近な野草に親しんでいると、たとえ食糧難が来ても餓死にすることはないだろう、という自信がでてきます。さすがに野草だけで生きていくのは辛いですし、野草だけでどれくらい生き延びられるかはわかりませんが、お店で買えるものがなくなったとしても、野草を摘んだり野菜を育てたりして食べものを大地から直に調達できる感覚を身につけたことは自分にとって大きなことだと感じています(食糧難に備えてそんなことをやってきたわけではなく、単純に楽しくて興味があるからやってきたわけですが)。

 人類の食糧としての野草の可能性は、まだまだ眠ったままで、工夫のしようによっては、人類が食を得ることをもっと簡単にしてくれる可能性を秘めているのではないかと思います。農薬も肥料も要らないし、成長は早いし、労力をかけて種まきしなくても毎年生えてくれるし。アク抜きが必要なものも多く、毎回食べる度にアク抜きするのは面倒で野菜のほうがラクでいいや、となることが多いけど、大量にまとめてアク抜きすれば時間や労力の効率はいいだろうし。今は野草や雑草と呼ばれている植物を人類の美味しい日常食にする研究がこれから進んでくるのではないかと予想します。

 何を食べるかというのは、一人の同じ人間でも、10年、20年くらい経つと結構変わっていたりするものです。ぼくも20年後には何を食べているだろう? そのうちフルーツだけとかでもいけそうな気がするけど、今はまだ、お米や野菜がないと寂しいし身体が欲しているのを感じるので、その時々で食べたいものを楽しみながら、自分の変化も楽しんでいきたいと思っています。


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