恋愛偏差値

『友達以上恋人未満』と言う言葉がある。どことなく背徳の匂いはするが、若い頃は自分もちょっと味わってみたい気のする蠱惑的な言葉だった。
私にとっては学生時代の『友達』、K君とN君がそういう存在に当たると思う。

二人とも同じサークルで同学年。浪人生の多い中で、私達は全員現役生で同い年だった。自宅から通学していることも、学部も同じ。共通点が多く、私達は気が合った。
お互いの想い人を知ってもいた。上手く行くようにお膳立てをしたし、ダメだった時は学校の近所の居酒屋で三人で残念会をした。そういう付き合いだったから、お互い男であり女であるという感覚は持っていない、と『私は』思い込んでいた。
やがて私に同学年の彼氏ができても三人の関係は全く変わらなかった。

企業は違えど仲良く三人とも金融機関に就職が決まったある日の事、私はN君に呼び出された。K君もいるものとばかり思っていたら、N君一人だったのでちょっと訝しく思った。
彼は一本のカセットテープを私に手渡してさりげない調子で
「家でゆっくり聴いて」
と言った。私は本当に何とも思わず
「ふーん?ありがとう!」
とだけ言ってそれを受け取り、家に持って帰った。

テープを聴いてちょっと不信感を覚えた。
入っていた曲はミニー・リパートンの『ラヴィン・ユー』一曲のみ。歌詞は全て英語だが、和訳を見れば熱烈な愛の告白であることは疑う余地もない。
K君と一緒にN君の恋愛相談にも乗り、彼女が出来た時はプレゼント選びにも付き合い、振られた時にはヤケ酒にも付き合った仲である。完全に自分が『女』であることを彼の前では忘れていた私にとって、青天の霹靂だった。
戸惑いとときめきと共に、小さな拒絶の感情が私に起こった。私の彼はN君とも友人だったからである。
私はこの件に関して、翌日以降もN君に何も言わなかった。N君も知らん顔していた。あのテープに関してお互い一言も交わすことのないまま、卒業した。
卒業後は一度も会っていない。彼は後に脱サラして法曹界の人間になった、と風のうわさで聞いている。

K君は剽軽でお調子者の愉快な子だった。彼とは家が近く、卒業後一度だけ会ったことがある。彼が遠方の支店に転勤が決まったので、行ってしまう前に遊ぼうや、となったのである。私は軽いノリで良いよ、と言ってたいしてオシャレもせず彼と会った。その時はもう学生時代の彼氏とは別れていたが、K君とどうこうなるなんてことは私の頭に全くなかった。
「ボーリングがしたい」と言うので、近くのボーリング場に行った。向かう車の中で、彼がぼそりと言った。
「オレ、Tに振られてん」
Tちゃんは私の友人である。美人ではないが明るくって真面目な良い子である。独特の喋り方をするので軽く見られがちだったが、実は大変堅実なしっかり者でもあった。彼女をまともに相手にする男の子がいない中、K君だけは彼女にぞっこんで、私はTちゃんの本当の価値をわかる子もいるんだ、とちょっと嬉しく思って応援していたのだった。遠くに行く前に、思い切って告白したらしい。
「当たって砕けたん?」
「うん、オレは『頼りない』ねんて。『姉さん女房でも貰えば』って言われた」
私は噴き出した。告白されたって舞い上がらない、しっかりしたTちゃんらしい返事だ。
「確かにね」
「あ、そこTに同意するとこちゃうし?」
そういってK君は苦笑いした。そしてつまらなそうに前を向いたままこう言った。
「オレ、最初からミツルさんにしとけば良かったかな」
ドキリとした。N君のことが頭をかすめた。
「だって、あたしY君いたし」
ちょっと慌てて規制線をはった。Y君は学生時代の彼氏の名である。K君とも友達だった。
「まあなあ。そやけどどうせあかんようになるんやったら、学生時代にびびらんとアイツとぶつかっといても良かったかなあ、と思う…ことも、ある」
「よう言うわ」
辛うじて返して、私は黙り込んだ。K君も黙った。車の中を気づまりな沈黙が支配してしまいそうになった時、目的地について私達は車を降りた。
その後は普通にボーリングして、ご飯を食べて、駅まで送ってもらった。
別れ際、
「元気でなあ」
と言ったら
「おう」
とだけ言ってK君は車に乗ったまま右手を上げた。
それ以来、彼とは顔を合わせることはなかった。変わったことと言えば、それまで毎年来ていた年賀状がふっつり来なくなったことだけである。

Tちゃんの話によると、彼女のところには年賀状が来ており、K君の消息は彼女を通じて知ることが出来た。相変わらず剽軽で、元気にしているらしい。
「いちいち『まだ独身です』って書いてくんねん。恨まれてるみたいでイヤや」
二人の娘のお母さんになっていたTちゃんは、そういって笑っていた。
それも随分前の話だ。流石に彼ももう結婚しているだろう。

男女の間にも純粋な友情は成り立つと、それでも私は思っている。
でも当時の私は『恋愛偏差値ランク圏外』だったかも知れない。