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「エンドロールが始まる」(朝井リョウさん『少女は卒業しない』より)独り言多めの読書感想文、1




「成る」という言い方がある。将棋でいう「敵陣に入ると本来の動き以上に動き方を変え、パワーアップすることができる」というアレだ。たぶんそれと同じで、人にも「成る」瞬間が来る。「男性に」「女性に」あるいは「大人に」「親に」
 やむを得ずパターンもあるが、ほとんどのきっかけはきっとほんの些細なこと。例えば雨に濡れないように傘をさしてあげるとか。


 傘というのは不思議な空間をつくる。車と違って全方位に開けているのに、一瞬でエレベーターより狭い世界を生み出す。それはたった数分前までは〈あそこにいるひとに訊いてみよ〉と言っていた、もはやひとという形すら危うい記号じみた存在だったその人が、急に実物になる。それはまるで本の中から飛び出した存在。そんな得体の知れない生き物が「自分も東棟に用があるから」と傘をさしてくれる。この時少女が見たのは〈傘からはみ出した先生の左肩が、濡れていた〉

 大人になれば分かること。雨が降っていて、目の前に立ち尽くしている人がいれば、比較的傘は誰にでもさす(貸す)し、それは別段男女問わない。けれど少女にとっては「自分のために労力をかけてくれる」先生にある種「女の子扱い」されることで、記号じみた存在が男性に変わった。これは自ら「女性に成る」ことで自動的に変換されたもので、本来大した意味は持たない。けれど続けて

〈パチンッ
 と音がして、不意に電気が点いた。
「わっ」思わず大きな声を出すと「あ、すみません」先生が壁のスイッチを押したまま私のことを見ていた〉

 という場面が入る。この書き方が実に上手い。

〈先生が壁のスイッチを押したまま私のことを見ていた〉

 この主語は正確には「先生」ではない。「1人の男性が」である。室内に足を踏み入れて、遅れて電気が点いた以上、入り口に立っているのが先生であり、構図としては男性側が主導権をとった形になる。それを本能的に感じ取った少女は、だから〈そそくさと資料を探〉す。記号とするような相手に「そそくさ」という表現は当てない。それは「自分の方が小さい」と認めたことの裏返し。1人の男性として意識した瞬間、けれども秒で失恋する。先生の手帳から飛び出した「奥さん」の写真。〈「きれいなひとですね」〉と口にする少女は、ここで一旦「落ちる」経験をする。一瞬でも浮き上がった分、叩きつけられる痛みを知る。

 けれども、もっと高いところから落ちることになると予感しながら、少女はその階段を登っていくことを決意する。それが「生徒会長の田所くんにさえ『ちょっと難しかった』と言わしめる、20年くらい前のイギリスの小説」を〈「これから好きになるの」〉であり、金曜の図書室で毎週本を借りることだった。
「読めない本を読むこと」と「叶わない恋に腹を括る」ことは「覚悟」で繋がっている。ついでに「読めたら叶う」願掛けも入っていたのかもしれない。この瞬間から少女はパワーアップする。

 ちなみに少女のスペックは比喩によって明示されている。コテの使い方を教えて欲しいと友人に頼む場面。
〈巻き方、外側内側とかそっから教えなきゃいけないの? とあのとき陽子はちょっとめんどくさそうにしていたけれど、お願い、と頼み込む私の顔を見て真剣だと分かってくれたようだった〉
 無知、すなわちこれは処女性を示していて、ここから一歩一歩大人に近づいていく。早く伸びろーと頭皮をトントンしている様は何とも微笑ましい。この女性性と合わせて先生の男性性にも触れておこう。

 先生の輪郭について。
〈「先生」という存在の枠の中で生きているふうにしか見えなかった〉先生。
 先生は「東棟の幽霊の噂」を知らない。それは生徒間で流行っているものであり、そのくくりに属さない先生は知るはずもないのだが、それ故恐れるものがなく、頼もしく見えた。加えてその様は群れて生活する生徒にとって眩しく見えた。
 けれどそれは、同様に生徒間で噂されている「告白スポットとしての東棟」も知らないということ。〈背伸びをするように、空へ伸びている東棟〉に見えている少女の気持ちは、少女に始まって少女に終わる。「共有されない」ことのメタファー。

 この作品が美しいのは〈(子供である)私が好きになった人は、(子供である)私なんかを相手にしない〉という、一種理想で練り上げられた感情、多分に夢を含んでいるから。夢中というやつである。それは一時的に人を強化する。どんな形であれ、終わらない限り効果は続く。

 さて続いて、先生ではなく1人の男性としての輪郭について。
 作中最も印象的な一文がある。紹介しよう。


〈「田所くんって誰ですか」〉


 これは最終図書室に向かう道中、先生が口にしたこと。音だけ拾うとただの「Who」だが、「生徒会長」という「この学校の人間なら誰でも知っているはずの人」という観点からすると、同じ音が少女にとって「あなたとどんな関係の人ですか」に変換される。そうして先生は〈「僕は金曜日に図書室によく来る生徒くらいしか覚えてないですから、」〉と続ける。この後少女をもって〈先生の口から私の名前がこぼれると、さくた、と言う音がとても美しい響きに聞こえるから、不思議だ〉としているが、でしょうね、と思う。こやつ、確信犯だぞ、とも思う。

 傘を貸したように、人は困っている人を放って置けない。人は、喜んで欲しいと思う。それは何も男女関係挟まなくとも。それはただの人間性。けれど、
 少女は夢を見ていたい。だからそのやさしさが誰にでもではないと知りたい。〈重いのに持ってきてくれたんだな、〉とか〈傘からはみ出した先生の左肩〉とか〈さくたさん〉と呼ぶ声とか。そのひとつひとつを宝物のように抱きしめる。抱きしめたまま絶望する。それが一音一音噛み締めるようにひらがなだけで構成された〈ほんとうに、このひとはなんてやさしいんだろう〉と〈だけど、そういうやさしさは、いちばんつらい〉この2つが鉤括弧のようにして間に挟んだあからさまな前振りに、先生は気づかないふりをする。大人だから。その先に何があるかも知ってる。いくら少女の側が子供扱いされることを拒んでも、先生にとってそうして容赦されるくらいには子供なのだと思い知る。

 実はもう1箇所、ひらがなだけで構成された一文がある。「奥さん」の写真を見た時に発した、先にも書いた言葉。

〈「きれいなひとですね」〉

 絶望を音にする時、自分を納得させるようにそうした表現をしているのかもしれない。


 そうして自ら上がって行った階段の一番上から飛び降りる。ラスト、告白のシーンだ。
 先生はやさしい。だからクッションを用意する。
 けれど身を挺して抱き止めようとは思わない。だから美しく、正しい最後。
 こればかりは言語化できないし、しようとも思わない。から、実際に読んで欲しい。
〈伸ばした小指のつめが刺さ〉るように、その痛みはきっと、あなたの胸にも突き刺さる。 









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