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『またうど』読書感想文、商人は人たらし


 田沼意次は商人だった。「政治とカネ」が切っても切り離せないように。世を動かすためには必ず元本が欲しくなる。だから必然、上に立つ者は金の流れに通じていなければいけない。
 商売。ものを売るというのは「その人を買ってもらうこと」に等しい。目的が同じ用途機能だとしても、大事なのは「相手に瞬時に信用できると判断されるか」
 人は何を持ってその人の話を聞こうと思うか。信じようと思うに至るか。必死で言葉を重ねたところで大事なのはそこじゃない。結局人は好きな相手の言葉を信じる。
 じゃあ何を持って好感を持つか。その手段の一つが雑談。利害関係のない会話が「私はあなたの敵ではありません」という土台を作る。結果どこで買っても一緒なのにその人から買うようになる。その人と関わる時間、その人の喜ぶ姿がその商品に付加価値を加える。そうして数万の売り上げが立つのを、この目で何度も見て来た。
 
 ギブアンドテイク。いつだってアクションが起こるのは「もらった」と思う側から。ずば抜けた頭の回転の良さ、知見の広さ、それに優れた人材を積極的に登用する柔軟性、さらには一勘定方の意見にじっくりと耳を傾けることのできた意次の最たる美点は、だから「人に好かれたこと」。
 直接関わることのない町人に何を言われようと、幕閣を始め、周りにいる人たちからは本当に慕われていた。挑戦を推奨し、失敗すれば潔く手を引き、そうしてまた挑戦を繰り返す。進むのは一里でいいとし、2、3年で成る計画でなくとも、腰を据えてじっくりやれと言えるほどの度量を意次は持っていた。信じてもらうためにはまず信じる必要があり、そういう意味で意次は「いい、やってみよう」と数々の信用を撒いてきた。それらが一斉に芽吹く。
 本来自由度の高い仕事は上の人間にしかできない。だからこそ発案側として「信じてもらえた」という経験は何よりの自信、喜びになる。まず信じるに値すると思われなければ発生しない報酬であり、だからこそ全力で応えようとする。
 意次は上手かった。話をする相手を必ず、相手が名乗るより先に呼んで話し始めた。「一幕閣、老中ともあろうお方が、格下の役職である自分のことも認知しておられる」その事実は「好きにならせる」のに充分な力を持った。そういう意味では意次は類稀なる才覚に加え、天性のたらし故に老中にまで上り詰めたと言えなくもない。ふとかすめたは秀吉か。さて。
 
 この一対一の関わり方をベースとして、私がこの作品を通じて学んだのは影響力。「アドバイスはしない方がいい」の内実。無論、指導とは明確に区分した上で、大事なのはいかに自発的にそっちに向かわせるかであり、理想は「自分が直接関わらずとも、結果的にそうなる」。そこに必要になるのがオブラート。間を取り持つもの。
 媒介。互いにとって客観性を持つもの。主観は押し付け、縛りを生む。けれど「それ」は選択の余地を残す。
 
 意次は幕閣。蝦夷の開拓も、貸金会所の設置も人を介さなければいけない。そんな時、信の置ける者を差配する。相応しい人物を取り立て、現地を任せる。この役目を賜った人が媒介(媒体)。いわゆる中間管理職。そういう意味では媒介ほど力を求められる人物もいないのかもしれない。バランサー。ただの伝書鳩なら人件費の無駄。大きいものを受け止め、噛み砕き、現時点で個々に受け止められる重さに調整して分配する。そうしてそれを受け取った側が、意図を理解した上でそれぞれ動き始める。結果末端まで潤う。
 それができたのは取り立てる側の意次が常日頃から耳を傾けて来たから。出された案をよしとした時、すぐさまGOサインを出して来たから。そういう人だと知れ渡る範疇において、意次は無敵だったと言っていい。
 相良の城は、とうとう意次が一度も登城することなく打ち壊しになった。けれどその意図は、末端、指先にまで届く。作った時も、壊した後も。真新しい畳など、資材は城下の者に分配され、ちゃんとそれぞれの生活の足しになった。
 


〈我らにとっての幕府とは、あなた様のことでございましたのに〉


 
 そうして罷免され、立場を失ってこそ現れる本当の人間関係。自分と関わることは何の利益にもならない。そうした時、それでも寄り添おうとする人がいること。万人から好かれるのは無理だ。けれど正面から向き合い、きちんと心の通わせることのできる相手がいるというのは、それだけで何にも増して尊い。
 意次だけではない。意次の声のようにして響く記述がある。元見張り番。取り立てられ、役職についた者同士のやり取り。
 
〈「そなたの蝦夷通、まさにこれからであったに、残念だな」
 「なに、ここまで進んだだけでも良い夢を見させていただきました」
  宗次郎は障子に手をかけて、ふと足を止めて振り返った。
 「愉しゅうございましたなあ、御奉行」〉
 
 夢中。その時は目の前のことに必死だった。けれども振り返ってみれば、そんな必死で生きた日々こそが宝物だと気づく。
「三軍も帥を奪うべきなり。匹夫も志を奪うべからざるなり」
論語にある一説で、「たとえ相手が大軍勢でも、将を奪うことはできる。だがたとえ名もなき男だろうと、その志を奪うことはできない」というもの。それこそ〈人ひとりの性根を見くびるな〉である。
 
 人は、いくら人に出逢おうとも、最期は一人で死ぬ。だからこそその不安に、孤独に、信じた人を、あたたかな縁を拠り所とする。そうしてその縁、芽吹いた媒介を通じてその志は必ずや形を成す。
 
〈その時意次はこの世にはいない。だが己のしようとしたことは間違っていない。その未来が意次にははっきりと見える〉
 
 身の程、そうして志。人ひとりが丁寧に関わることで身を結んだ人ひとり以上の成果。人ひとりが夢を見た。夢を語ったその先に、叶えたい未来が見通せた。
 ひとりの人たらしが生んだ影響力。それはあたたかな光となって国中を照らした。






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