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「四拍子をもう一度」①(朝井リョウさん『少女は卒業しない』より)独り言多めの読書感想文



「かっこいい」という言葉は、しばしば「どうでもいいけど」と同義を示すことがある。例えば友人に彼氏を紹介した時、大きく分けて2パターンの反応があり、一つが「やさしそう」もう一つが「かっこいい」で、今私が話しているのはこの後者に当たる。この場合、前者は内面を、後者は外見を評価している訳だが、どうにも外見がいただけず、逃げ道としての内面評価というニュアンスが強い。
 ただ、当の本人たちは次の瞬間にはもう別の話を始めている。どうでもいいのだ。紹介する側もされる側も。大事なのは「目の前にいる友人が幸せそうにしているかどうか」であり、やさしそうだろうとかっこよかろうと、反応で声が出たレベルにどうでもいい。3分後には顔も忘れている。さて。

「恋に落ちる」という表現がある。「落ちる」とは、重力の影響を受けて高い所から低い所に移動すること。位置エネルギーという言葉がある。高い所にあるというのは、それだけで価値を生む。そうしてそこからの落差に生じるエネルギーが人を狂わせる。ギャップというやつだ。
 座標軸上、上に打つ点を仮に「憧れ」【点A】、下に打つ点を「ないわー」【点N】とした時、この点AとN自体、見える人と見えない人があり、運よく見えた人達によって己が人間関係はつくられる。ここでようやく本題に入る。



 作中氷川さんという女性が出てくる。
 ふちなしメガネ、長い前髪に長いスカートという、アイテムだけで人間性が分かるような人物だ。この優等生が、優等生という立場を盾にして守ったのが、絶賛厨二病真っ盛りの刹那四世だった。

 守る。傷つけずに済むように、傷つけ得る全てから庇いたいと思う心。じゃあ「守りたい」と思うのはどんな時か。それは無防備な時であり、「自分が」助けなければと思った時点でその関係は成立する。本来歩くはずだったルートを逸れ、よく分からない寄り道を始める。「無防備な時」というのは、睡眠時を除く、「何かに夢中になっている時」と言い換えが可能。何かに集中する時、決まって他が疎かになる。注意力が散漫になる。
 基本的に人は「その人」を見つめる時間が長いほど、その人に夢中になっていく。自らドツボにハマっていく。けれどやめられないのは「少なくともその人が夢中になっている間は無防備に見つめることができる」からだ。安心して見ていられる。すなわち自分が見たいように「その人」を見られる。何かしら魅力を感じたその人を、思うがまま己が内に取り込むことができる。直接関われずとも自分を満たすことができる。それは必ずしもそこだけで完結するものではなく、あまねくそうして無防備に見つめている人を他の誰かが見ている。「恋をするのは恋をされるのと同義」というのは持論だが、その根拠はここにある。


 さて、氷川さんである。
 優等生氷川さんが、刹那に道を踏み外したのは、普段衣装とメイクにばかり力を入れて、まともなバンド活動なんてしていないと思っていた森崎(=刹那四世)が、歌っているところを聞いてしまったためだ。何ともロマンのある話であるが、その時のことを氷川さんは〈「だけどとにかく声がキレイだった」〉としている。これがただ歌が上手いだけだったら「何しとん早よ放送部のCD返せや」で終わったものが、けれど実はここでのポイントは〈「だけどとにかく声がキレイだった」〉ではない。その前、


〈「発音も下手だし、とにかく全然歌えてなくて本当にかっこわるかった」〉


 こっちである。ここに「だけど」と続く。

 よく乙女ゲーに「容姿端麗、頭脳明晰、人望もあり、気さくな人柄」的な人物紹介があるが、そんな人に一体どう魅力を感じたらいいのか知りたい。それこそ「かっこいい」の一言で終わってしまう案件だ。

 氷川さんはこの短い発言の中で、二つのギャップを打ち明けた。
 一つは真面目にバンドやる気ないクセにと見下していた人が、本当は隠していただけでちゃんと音楽を好きだったこと。もう一つが発音下手、全然歌えてなくてかっこわるいけど、とにかく声がキレイだったこと。双方とも【点N】と【点A】が当てられる。
 ここで注目して欲しいのは、この「『本当に』かっこわるい」で最底辺を示し、「『とにかく』キレイ」で最上を示していること。この強調表現がなければこの恋自体成立していない。
 特に「とにかく」には「他の一切を払拭させるような強い意思」が見受けられる。参考までに、勝手に強調表現を省いたVERを提示する。

『発音下手だし、全然歌えてなくてかっこわるかった。だけど声がキレイだった』

 ホラ、「すっごい上から目線でギリ全否定避けた感想文」に早変わり(すな)
 ふちなしメガネ、長い髪と長いスカート。普段感情を表に出さないような優等生が起こした音の中に、その感情ははっきりと出ていた。裏まで真っ赤にしている耳を見ながら、主人公の少女は思う。〈こんなかわいい人に見つかってしまったんだ〉と。


 直接書かれていないけれど、少女にとって森崎は幼馴染とかそういう関係なのだろう。中学の時、軽音の女子みんな森崎のこと好きだったり憧れてたりしたから、そうならないように隠していたと後々白状する。
 こちらも直接書かれてはいないが、森崎自身、何らかの理由でまともに歌うことがなくなろうと、だからと言って音楽を軽視している訳ではないことが、他の部員にバカにされて影ながら練習していたことから伺える。

 表立って歌うことをやめた理由として最も推測しやすいのがいじめで、その根拠としてステージ衣装がなくなった場面を挙げておく。当事者である森崎はそのことに最後まで気づかず、その理由を〈式中に何度も礼をして乱れてしまった前髪を直す作業に全力を注いでいたからだ〉としている。

ここで言う前髪とは「自我を守るために確立した壁」であり、外界と自分を遮断している前髪が乱れることは、自我を危険に晒すことと同じ。だから「直す」作業に「全力を注」いだ。そうして極限まで狭くなった視野がために、外界の異常にも気づけなかった。






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