【5、悪役として(独り言多めの読書感想文、村木嵐さん『御庭番耳目抄』)】
〈「長く老中を務め、最後は老中首座にあった。その間ずっと、忠光殿がいつ側用人に化けるかと疑い、行く手を阻み続けた」(松平乗邑)〉
大阪城代として現地の商人とやり合うものの、一代で財を成した男を前に成す術なく、飢えていく武士のために何もできないことに涙した過去。そんな乗邑(のりさと)を助けてくれたのは吉宗だった。その恩に報いるため、乗邑は吉宗の片腕として身を粉にして働いた。
全ては吉宗の、吉宗の実現したい世のため。だから忠光の存在を〈「今日は正しゅうても、明日には分かりませぬ」〉としていた。将軍に取って代わろうとした側用人になることを案じていた。この時点ですでに個人単位の話ではない。側用人として悪名高い柳沢吉保は5代目綱吉の時代。全ては同じ過ちを繰り返さないため。吉宗の、吉宗の実現したい世のため。
たぶん乗邑は人を信じたかった。
疑り深いというのは「慎重」。ずっと腰を落としたまま石橋を叩いている。そのこと自体なんと負荷のかかることだろう。けれど一瞬の気の緩みが全てを壊す一手にもなりうる。けれどその奥にあるのは「本当は信じたい」
作中の言葉になぞらえると、信じるというのは延売買に似ている。延売買とは〈現物のコメを渡さない空米取引ゆえに不正も多く、投機を目論んだ商人が関わることで米の値が乱高下した〉もので、そもそもこれを取り締まるため乗邑は大阪城代として派遣されたと言っても過言ではない。それに対して商人は、水は高いところから低いところへ流れるのと同じだと言う。
〈皆がほれ、空米はここにあると申せば、商いは成り立ちますのじゃわ〉
信用、信頼。何の保証もないそれらは純粋なリスク。常に裏切りと隣り合わせ。ただそのリスクを負うことで、あるいは一定期間、物理的にも精神的にも、一人で持つはずだった荷物を肩代わりしてもらうことができる。古来より人は一人で生きていけるようにできておらず、どこかで人を信じなければいけない。その弱さが狙われる。
だから乗邑は吉宗を本物の将軍だと信じられた時点で幸福を手に入れた。そのために身を粉にする覚悟ができた。結果を待たずとも、この時点で欲しいものは手に入ったのだ。
乗邑は、だからただ一人信じられる人のために自分が正しいと思う方に駆けた。その結果明日には黒になるかもしれないと疑い続けたものが白だっただけで。それが
〈「ただ一度として忠光が伝えた家重様の御言葉を嘘偽りじゃと疑うたことはなかった。ただ、次は分からぬと用心しておっただけでな」〉
「限定的信用」ここまでは(結果)白。ここまでも白。
それをずっと繰り返していた。人の心は変わる。ある日突然何の前触れもなく変わる。だから日々スラッシュを引き続けるしかなかった。全ては吉宗の、吉宗の実現したい世のため。
乗邑自身、真っ直ぐ忠光を信じてしまえればラクだった。そうすれば「背信の」などと呼ばれることはなかった。けれど乗邑がいたから、反対の声を上げる人がいたから見えるようになることがある。悪役というのは結果論。勝てば官軍というだけで、常に一塊という方が圧倒的に危険。それはノーブレーキと同義。それは誰より吉宗が分かっていた。
立場上罷免にこそしなければならなかったが、ただ一人反対の声を上げた乗邑に、吉宗はやさしく声をかけた。
〈──そのほうが「待った」を入れたゆえ、まことの家重と家治を知ることができた。乗邑、礼を申すぞ〉
可能性を提示するから思考が深まる。満場一致だったらそのまま流れていたことを、堰き止めることで本来知り得なかった中身が出てくる。
ただ信じたかった。信じたものを守りたかった。そのために力を使いたかった。
ただ愛したかった。その結果、乗邑は一生ものの恋をした。どこか新撰組を彷彿とさせるその様は、悲恋か美談か。何でもいい。
立場を失った後、本当のその人が現れる。乗邑は抗わなかった。吉宗との一対一の答え合わせ。
〈それなら乗邑は、そのつもりで家重の襲職に力を貸せばよかったのか。無論それは家重に取り入るためではなく、わずかでも吉宗の改革を進めるためだ〉
吉宗もまたじっくり見ていたと言った。家重が本当に将軍に相応しいか、本当に忠光を信じていいか。刻一刻と変わる状況に合わせてずっと。だから忠光に出会ったのが10代であるにも関わらず、家重が将軍になったのは35歳。本当に長い時間かけて吟味していたのだ。それほどまでに「慎重」に。
自分の一手で未来が変わる。その重責を、本当の意味で分かち合えたのは、だから乗邑だったのではないか。だから片腕だったのではないか。一人が負う責任ではなかった。同じ温度で、同じ深さで考えることのできる相手がいるというのは、どれほど心強かったことか。
乗邑は、もちろん見返りなんか求めてなかった。
ただ愛させて欲しいと、その思いは立場を失った今も止むことなく、
〈「大御所様。なぜあと十年、少々の無理をしても将軍を務めてくださらなかったのですか」〉
家重を「汚いまいまいつぶろ」と称した男の言葉とは思えない。あと五年、ともに働かせてもらえたなら、次の将軍が誰になろうが一向に構わないという。それほどまでに、吉宗とともに駆ける時間は幸せだった。
全ては結果論。丁寧に紐解いていけば、乗邑の言動の根にある澄んだ源泉に行き着く。正義の反対は別の正義。乗邑は素直だった。己の間違いに気づけばすぐに正すことができた。正すこと。すなわち己の非を詫びること。
何故こうなってしまったのか、それは問題の根を探ることから始まる。たどってたどって行き着くは真実。男はずっと疑い続けてきた忠光の父親に会いに行った。そうしてまずこの男にさえ会っていれば自分の行動は変わったと腑に落ちた。
答え合わせが終わる。心があるべき場所に落ち着く。それこそが何より大事と言えないか。
官軍は続かない。必ずいつか負ける時が来る。その時いかにして答えにたどり着くか。その答えの見つけ方。乗邑は、だからさっぱりした顔で言った。
〈「大御所様を頼んだぞ。存分に働け」〉
納得する。答え合わせ。それは心をあるべき場所に落ち着けるため。愛を、恋を、手放す儀式。そうして託す。全ては吉宗の、吉宗の実現したい世のため。潔く身を引く。立つ鳥跡を濁さず。
その姿、お見事。