【2、切り売りじゃねえよ(独り言多めの読書感想文、村山由佳さん『二人キリ』)】
時に彼女は、その作風から「実体験を切り売りしてる」という見方をされることがあるが、一般人Aである私でさえそう思われたらとても屈辱に感じるため、勝手に否定しておこうと思う。
1、 前提
『エンジェルスエッグ』が小説すばる新人賞をとった時、作品のカバーに印刷された彼女はまるで美人だった。当時29歳。世間一般のアイドル然とした美しさではなく、内側から発光するような、たぶん肌の透明感の持つ美しさだった。内面が外見に現れるというのはおそらく本当のことで、当時の作品は一貫して規律、「教え」が説かれていた。(ちな60を迎える彼女は今尚美しく、ぜひ一度ご覧いただきたい)
成熟した社会というのは「うんと年上の男性が女性を育て、成長した女性が今度は年下の男性を育てることで成り立つ」という。当時の「10歳近く年上の女性に恋をする」設定の作品群はどれも男性視点で描かれており、自身の至らなさを多くの人から学ぶというスタンスだった。中でもヒロインの兄とする男性からの教えは『おいしいコーヒーのいれ方』の名の通り、イイ男への正規ルートだったように思う。無論これは女性にだって言えること。
感情を律する。こと制御のききづらい恋愛において特筆されるが、基本真理。故に応用が効く。そうして今になれば恋愛というπの利を活かした布教活動にも思える。壺もとい作品群に埋もれた私が言うのだから間違いない。
2、 本題
じゃあ実体験を切り売りしている訳じゃないと言える根拠は何か。答えは「彼女が換金しているのは感性だから」
純愛ものの金字塔『エンジェルスエッグ』始め、『おいコー』『永遠』『フェルマータ』『野生の風』『夜明けまで1マイル』『デジャ・ヴ』あ、『BAD KIDS』もあったな。
とんでもないスケールの作品を世に送り出しながら一転、官能に振った時、真っ先に失われたのは背景だと思う。広大で繊細な背景描写は、彼女の武器の一つだった。
異国の地、海や砂漠。読むだけで世界旅行が楽しめるような底抜けの感性。その『翼』とも言える武器を捨てて、狭い空間を舞台とする。全方位に開き、地平線の果てまで守備していた容量を圧縮した時に何が起こるか。
出した声が目の前の壁に当たって消える。大声なら対面の壁に反響するかもしれない。そうしてとんでもないエネルギーが幾重にも反響し続ける。スーパーカミオカンデを彷彿とさせる、生まれるは異空間。横に行けない感性が縦に伸び始める。広い世界を音にしていた人が、「その人」を媒介に音を起こし始めるのだ。
ここから彼女の私生活が変わり始めた。感性を売る以上、感性が働かない環境にいられなくなった。より強く、知らない刺激を追い求めることで、作品は高い温度を維持し、作家として今も尚一線を走り続ける。追い求めている時の方がエネルギー量が増す。そうして結果的に3度目の結婚相手がいとこというのだから、まるで自身の過去作を体現したかのような人生。そう。
実体験があって小説ではなく、おそらく小説あっての実体験。だから彼女は切り売りなんてしていない。彼女はただの預言者だ(信者談)
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