「人に頼ること」のしっぽの毛の先くらいは、理解できたかも
人に頼るのがとにかく下手くそです。
頭でわかっていてもなかなかできない。
でも少しだけ「人に頼ること」ってどういうことなのか、しっぽの毛の先くらいをつかむことができたかな、という出来事がありました。
最近久しぶりにひどいうつになりまして。
私がくたばったので、わたしの代わりに旦那が家事を頑張ってくれました。とにかくすごく頑張ってくれました。日中出かけていたにもかかわらず、一週間分ためた洗濯、料理、風呂掃除まで。
ちょっと無理してヘトヘトになっていて、流石に何かわたしも手伝わなくちゃ、と思うけど焦るばかり。
そんなとき、フォローしている方のnoteで「ただここにいるだけ」という言葉を見つけました。
こころの中で「ただ、ここにいるだけ」とつぶやいてみたら、少しずつ焦る気持ちが落ち着いてきました。
そう自分に意識を向けたら、「あ、今わたし下半身に力が入らない」ということに気づきました。
下半身に力が入らないと言うことは、立っているのが辛いと言うことです。
こうしてnoteを書いたり、口を動かしたり、手を動かしたりすることはできています。今日は起き上がれてもいます。
でも、洗濯を干したり皿を洗ったりなど、動き回るのは辛いんです。
それに気づいた時、ちょうど旦那に「洗濯物たためる?」と聞かれました。私は一瞬しんどくなったけど、立ち止まって考えてみました。
動けないなら、動かずできることを伝えて、動かなければできないことはお願いすればいいんじゃないかと。
「たたむだけならできる。洗濯物をベッドまで持ってきてもらえたら」
ちょっとあまりにも怠惰かな……と思ったんですが、ソファまで歩くのすらしんどかったので。
旦那にそう伝えたら、持ってきてくれました。
そのあと雑談しながらたたんで、クローゼットにもしまってもらいました。
これが実家の親だと「甘ったれんな」って言われるんですよね。わたしがひとに甘えられないのは、甘えようとしても、怒られてしまった経験が多いからなんだと思います。
これが車椅子に乗ってたり、足が動かせない人なら、それに対して「甘ったれんな」っていう人は少ないですが、心の病など見た目からはわかりにくい症状って、やっぱり当事者以外に理解されにくい。
わたしも、足が動かせないのは自分の意思が弱いから……なんて思ってしまっていました。だって無理すれば動かせないことはないから。そのあとさらに動かせなくなるけど。
そんな身体が動かない私も、これまでは、「甘えてばかりの怠惰なクズ」と自分を責めていました。
でもそうじゃない、本当にできないんですよ。
身体が動かない。立っているのがつらい。もう頑張れない。
それを認めたら、心が少し楽になりました。
そしてそれを言葉にして、できないことを頼ることができたことで、自分のなかに「たたむだけでもいいんだ」という安心感が生まれました。
そしたら少し元気が出て、ゆっくりですが、身体を動かすことができました。
わたしはなんでも完璧にこなそうとしてしまうんですが、そうしなくていいのかも、って少し思えました。
「たたむ」→「しまう」のプロセスの中で「しまう」はできないけど「たたむ」だけはできる。
なら「たたむ」だけでも、それだけでもいいんだなって。
自分ができること、できないことがなにかわかれば、相手にお願いしやすくなります。
「こんな自分、なんて怠け者なんだろう」と思う自分もいるし、できないことをできない、と認めるのは結構恥ずかしかったり、苦しいなと思います。
でもこれから、できないことは頼れるように、少しずつ解放していけたらもっと楽になれるのかなって思いました。
人に頼ることに関してのわかりやすい話
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