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【感想】NHK大河ドラマ『光る君へ』第41回「揺らぎ」

2024年10月27日(日)19時10分『光る君へ』第41回「揺らぎ」を視聴しました。

<NHKのあらすじ>
即位した三条天皇(木村達成)と道長(柄本佑)の間では、早くも水面下で覇権争いが始まろうとしていた。
道長の息子たちの序列争いも表面化し…。
その頃、まひろ(吉高由里子)は天皇を失った悲しみに暮れる彰子(見上愛)を慰め、和歌の会を催すことに。
すると、招かれていないききょう(ファーストサマーウイカ)が現れる。
さらにまひろの実家では、娘の賢子(南沙良)と若武者・双寿丸(伊藤健太郎)が仲を深めはじめ…


■プロローグ

■寛弘8年(1011年)

乙丸(矢部太郎)が盗人に襲われたときのことを説明しています。
賢子は双寿丸(伊藤健太郎)に助けられましたが、いと(信川清順)は早く出てってくれと言い放ちます。
怒ることは嫌いだという賢子ですが、まひろには、怒っていたと返されます。

---音楽---
冬野ユミ

---テーマピアノ演奏---
反田恭平

■撫子

彰子は我が子がなでしこの花を手にしているときの情景を読みました。
「見るままに 露ぞこぼるる おくれにし 心も知らぬ 撫子の花」
亡き帝と歌を交わしたかった、もっと語り合い、笑いたかったと心境を語ります。
敦成親王(濱田碧生)が撫子の花を手渡しました。

■三条天皇の思惑

天皇は公任(町田啓太)に内裏に入る手筈を命じます。
実資がふさわしいと断りますが、強引に公任に命じました。
道長も内裏遷御の手筈に同意を得ました。
公任は帝が我が身を取り込んで結束を乱そうとしていると考えています。

●三条天皇の側近
内裏遷御の日付が一条天皇の四十九日と被ったため、三条天皇に道長は伺いを立てたところ賛同を得ました。
そばで支えよと4人の公卿を側に置きました。

●ナレーション 伊東敏恵(NHKアナウンサー)
「三条天皇は道長の兄、道長の甥、道長の息子を側近に望んだ」
側近に選ばれたのが自分ではなく教通(姫子松柾)だったことが頼通(渡邊圭祐)は不満です。

●明子の思惑
源俊賢(本田大輔)は帝の女房を取り込んで側に仕えるよう図ったものの、不快に思い失敗したとのことです。
息子の2人がやってきました。
顕信(百瀬朔)は、公卿になるのはいつなのかと問いかけます。
年の近い頼通はすでに正二位権中納言なのに、納得できません。
頼宗(上村海成)は、控えるよう言いつけます。
明子(瀧内公美)は兄には言われたくないと皮肉を言います。

■内裏遷御

(ナレ)
「亡き一条天皇の四十九日にあたる8月11日、三条天皇は内裏に入った」

道長に関白になってほしいと要請しますが、道長は辞退しようとします。
三条天皇はその代わり、願いを聞けと、娍子と妍子を女御にすると命じます。
道長は反対ですが、帝は強引に推し進めようとしました。

■光る君と紫の上

まひろが執筆中に道長が現れました。
道長は光る君と紫の上はどうなるのか尋ねます。
まひろは紫の上は亡くなり、早めに終わったほうが楽だといいます。
道理を飛び越えて、より強い力を持とうと、敦成を東宮に立てたのはなぜだか問いただします。
道長はまひろとの約束を果たすためだと答えました。

■秋

●サロン
赤染衛門「誰にかは 告げにやるべき もみぢ葉を 思ふばかりに 見む人もがな」
まひろ「なにばかり 心づくしに ながめねど 見しにくれぬる 秋の月影」
あかね「憂ことも 恋しきことも 秋の夜の 月には見ゆる 心地こそすれ」

(引用)
誰に告げたらいいのでしょうか、紅葉の美しさを私と同じ思いで眺める人があって欲しいものです。(赤染衛門、明治書院「和歌文学大系 20」から)
昨夜は何ほども心を砕いてみていたわけでもありませんのに、見ているうちに、美しい秋の月が涙で曇ってしまったことでした(紫式部、新潮日本古典集成「紫式部日記 紫式部集」から)
秋の夜のお月さまって、なんてきれいなのでせうね。あまりにきれいに澄みわたってゐるので、そこに何もかも―私が心ひそかに思ってゐるあの人を辛いと思ふ気持や恋しい気持まで―映ってしまひさうな気がして、なんだか恥ずかしくなりますわ。(和泉式部、笠間書院「和泉式部集全釈」から)

美術展ナビ

ここに清少納言がやって来ました。
ききょうは、敦康親王から中宮への届け物を持って来ました。
届け物は、つばき餅、亡き一条天皇も定子も好物だったと言います。
敦康親王は既に過ぎたことなのかと批判します。
赤染衛門(凰稀かなめ)は、一首読んで欲しいとききょうに頼みます。
しかし、ききょうは私が歌を読みたくなるような場ではない、忘れても大丈夫だと皮肉交じりに述べました。

●まひろの心境
筆を執るまひろ
(まひろの声)
「清少納言は得意げな顔をしたひどい方になってしまった」
三日月を愛でようとするまひろですが、雲に隠れてはっきり見えません。
道長も同じ空と月を見上げました。

(引用)「得意げに真名(漢字)を書き散らしているが、よく見ると間違いも多いし大した事はない」(「清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば まだいと足らぬこと多かり」『紫日記』黒川本)「こんな人の行く末にいいことがあるだろうか(いや、ない)」(「そのあだになりぬる人の果て いかでかはよくはべらむ」『紫日記』黒川本)

Wikipedia「紫式部」

●敦康親王
敦康親王(片岡千之助)が彰子に面会します。
御簾を通して会話していましたが、敦康は御簾を越えて彰子の元に入ってきました。
光る君のようなことはしない、ただ顔が見たいためだと微笑みました。
道長は御簾を越えたことを知らされると、敦康を入れるなと行成に厳命しました。
行成(渡辺大知)は道長が多くのことを奪い過ぎで、敦康が気の毒だと率直に意見しました。

■武者軍団

賢子が街にいると、武者軍団が行列をなして通り過ぎていきます。
そこの最終列に双寿丸がいました。
平為賢(神尾佑)の軍団で、これから盗賊を捕まえに行くそうです。

(感想)
平為賢、藤原隆家、刀伊の入寇につながっていくんですね。

●双寿丸の思い
物語を広げていると、そこに双寿丸がひょっこりやって来ました。
そこにまひろもやって来ました。
いとは身分の低い双寿丸に迷惑千万という表情です。
足で書くのか?実は高貴な生まれではないかと、まひろは質問してしまいます。
人には得手不得手がある、学問が得意なものは戦えない、武者であることに誇りを持てと殿様も言っていた。
みんなで戦うことを学んだ、弓を得なもの、石を投げる、それぞれが得意な役割を担い力を合わせて戦うのだ。

●彰子への提案
彰子に敦康親王は元服した大人、これまでのように会わないように言いつけます。
道長は敦成親王を今よりなおお慈しみしてほしいと懇願しました。
父は敦康親王を弾き出そうとしているのかとまひろに問いかけます。
まひろは、仲間を持ったらどうかと提案します。

■彰子の仲間

早速、彰子は弟たちを呼びました。

(ナレ)
「彰子はこの日、腹違いの弟たちも藤壺に呼んでいた」

頼通(渡邊圭祐)、頼宗(上村海成)、藤原教通(姫子松柾)、藤原顕信(百瀬朔)の4人です。

(ナレ)
「この後、彰子は枇杷殿に移り、藤壺には三条天皇の女御となった妹、妍子が入った」

妍子(倉沢杏菜)が御簾から飛び出して、敦明親王(阿佐辰美)を誘惑しています。
妍子は敦明も延子より自分が好きだろうと言います。
敦明の母親・娍子(朝倉あき)が「そこまで!」と叫び、叱りつけ、妍子に謝りました。

■出家

三条天皇は藤原道任(古舘佑太郎)を参議に任じようと宣言します。
娍子の弟なので取り立ててやりたいようです。
道長の息子・教通も側に仕えているから道任もいいだろうという道理です。
道長は顕信に蔵人頭は早いと断りました。
蔵人頭になりたかった顕信に対し、あせるな、帝に借りを作ってはならないと説得しました。
明子は道長に、顕信より自分が大事、蔵人頭への就任を父親が拒むことが信じられないと不満です。
明子は、決して許さないと頑固に怒ります。
比叡山の僧・慶命が火急の用で道長に会いに来ました。
慶命(佐野陽一)は、顕信が本日出家したと話しました。
道長は明子に責め立てられました。

----終わり----

次回は 第42回「川辺の誓い」11月3日放送です。

■感想

清少納言が彰子にひどい言い回しで皮肉交じりに批判しました。
紫式部日記の中で、清少納言を批判した記事は、この場面につながっていたのだと分かり、脚本家の考えが伝わってきて納得感がありました。
紫式部への怒りというより、道長への怒りだったということですね。
それを紫式部は苦々しく思って日記で書いた、というストーリー。
面白かったです。
・三条天皇
誕生は976年2月5日なので、この時34歳。
父親は冷泉天皇、母親は兼家(懐かしい)の長女・超子です。
三条天皇にとって道長は叔父さんですから、すこし遠縁でしょうか。
人間の生死は予期できないだけに、だれを帝にするのかなんて、なかなか上手く行きませんね。
いつの時代も、皇位継承は大きな問題を起こしています。


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