むらびと

愛知の村生まれの大学生。

むらびと

愛知の村生まれの大学生。

最近の記事

何かの本に、生き抜くことも大事だが 息抜くことも大事だと書いてあった。 休んでいいし、立ち止まってもいい。逃げた先で、新しいものに出会えるかもしれない。 頑張ることも大切だけど、頑張りすぎないことも大切。 もうどこかの誰かが、自ら命を絶つことがない世界を、私達自身の手で作っていかなければならない。

    • 空白の1年

      非日常が日常になった。いや、本当は自分だけが非日常だったと錯覚していたのかもしれない。新型コロナウイルスにより、予定していた「海外に飛んで仕事をする」ということができなくなった。そう、いきなりニートになったのだ。もちろん自分だけではないことは知っているが、そんなのは遠いどこかの話だと思っていた。思えば、いつもそうだったのかもしれない。ニュースで映る景色が自分の場所ではないことに心のどこかで安堵していたのかもしれない。 人生において起こるすべての出来事は必然的に起こりうる。

      • 自由の国アメリカ

        バックパック1つでアメリカに行った。 ずっと憧れだったアメリカ。 小さい頃にテレビで見て、なんだこの場所はと 受けた衝撃を今も覚えている。 初めてアメリカに降り立った感想。 でかい。とりあえず、でかい。何もかもがでかい。 空も、大地も、建物も、食べ物も、人も。 アメリカは本当に多様性というか 自由というか、いろんな人が入り混じっている。行ってみないと分からないことがある、 と言うがその通りであると思う。 いい意味で雑というか、なんというか リアルで自由すぎる。 ベビ

        • あけましたね。

          実家に帰り、久しぶりに家族でご飯を食べた。小学生の頃は、毎日のように揃って食べていた食卓はもう、年に数回になってしまった。今では揃うことの方が珍しい。あのときのあたりまえは、あたりまえじゃなくなった。もしかしたら毎回家族でご飯を揃って食べることができるのは、あの時期だけなのかもしれない。だから、父さんや母さんはあの時間を大切にしていたのだろうか。いつか、あたりまえにこなくなる時間がそこにはある。それは、いつ、どんなときも、どんな場所でもそうである。つい、私たちは余裕がなくなっ

          出逢いってほんとに奇跡らしい

          人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。 しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に。ただし内に求める心無くば、縁は生ぜず。 上の森信三の言葉にあるように、人は出逢うべきときに、出逢う人に、出逢うべくして出逢う。人と人が出逢う確率は、250万分の1らしい。全然想像がつかない。ただすごい奇跡なんだなってことは分かる。私とあなたがこうして出逢えたこと、そりゃ、もうすごいんです。 尊敬する人、大好きな人、大嫌いな人、苦手な人、どんな人も自分にとっては大切な出逢いであって、ようは

          出逢いってほんとに奇跡らしい

          少しの望みを

          ふと見上げた空が綺麗だったとき、写真を撮りたくなってしまうのは僕だけだろうか。 綺麗な空を見せたくなった人がいるなら それはもう恋だとどこかで聞いたことがある。 恋ってなんですかね。なんなんでしょう。 どうやって人を好きなって恋が始まるのか、 もうよくわからなくなってしまった。みんな好き。けど、どこからが恋愛感情なのか曖昧で それを考えてしまうと、出口のない迷路に押し込まれた気分になる。 人を恋愛として好きになったのはいつだっただろう。あんなにも大好きな人がいたとき、自

          少しの望みを

          少年で居続けたい

          いつの間にか、梅雨は明け 朝日が差し込む部屋の気温は 32℃という理解が追いつかない 温度になっている。 夏がきた。外に出るのですら気が重い。 昔は夏が好きだった。 今は嫌いなのかと言われると違う。 嫌いではない。 まあ、好きでもないけど。 夏になると思い出す。小学生の頃はもう気温すらどうでもよくて外に出ては、昆虫を追いかけ回していた。頭から水を浴びまくり、駆け回っては、泥んこになり、木を登っては、飛び降りを繰り返していた。今になって思う、たくさん怪我して親に心配かけたん

          少年で居続けたい

          祈り

          2011年 3月 11日 金曜日 16時 48分 18秒 当時、中学1年生。 あの時の衝撃は今でも忘れることができない。 東日本大震災が起きた時私は教室で友達と過ごしていた。愛知県でもかなり揺れたのを覚えている。誰もが予想などしていなかっただろう、東北であんなにも大きな被害が出ているということを。 家に帰ってからというもの、テレビをつければどの局も同じニュースが流れたいた。忘れもしない光景。津波のように心に押し寄せてきた感情を整理することもできず、ただただ食いつくよう

          安堵

          ふぅ。 やっと一息つくことができた。 ここ最近目まぐるしく日々が過ぎ去り 気づいたらもう今年も残り半年。 平成から令和になった頃がもう 懐かしく感じるのは気のせいだろうか。 令和になって何が変わったのだろう。 恐らくほとんどが何も 変わってないんじゃないだろうか。 まあ、そんなもんだろう。 初めはみんな意識はするが 慣れてしまえばいつかの記憶になってしまう。 慣れというものはこわいついこの前、教育実習が終わった。 中学生はあんなにも眩しかったのか。 屈託のない笑顔。

          アナログ

          久しぶりに切符をつかった。 技術が進歩して随分と 楽な世の中になったのかなと感じる。 直接想いを伝えたり 手紙で相手に伝えることは少なくなり 簡単に誰とでも繋がることが できるようになった。 実家の固定電話で 友達と遊びの約束をした時代は とうの昔のように感じる。 ガラケーからスマホになり なんでもネットで調べることができ 辞書を使うことなく 携帯の変換機能で調べてしまう 一眼レフで撮っていたポートレートは スマホで撮れるようになった。 読む本は紙のみで

          近所のおばちゃんの話し

          一人暮らしをするアパートのご近所さんである 仲良くしてくれるおばちゃんに 「来た頃より随分と逞しくなったね」 と言われた。 思えば地元を離れ一人暮らしをして 3年が経ち、4年目になる。 いつの間にか見慣れない景色が 見慣れた景色にかわり たくさんのことを経験できていて 学ぶことが多くあるなと実感している。 中学生の自分は 今ここにいる私を信じるだろうか。 東京の大学に通い、1人で暮らしていることを どう思うのであろうか。たぶんだけど、 「そんなの嘘だあ」って言う。 てか、

          近所のおばちゃんの話し

          自分という人間

          1つの出逢いが 1つの経験が 何年、何十年の 人生を変えることもある。 だからこそ、 まだ出会ったことのない人に 出逢うのが楽しみで仕方ない。 自分の原材料名は 出会ってきた人々です。 今まで出会えた人々 話してくれた人々 すれ違った人々 本や映画に出てくる登場人物も 全ての人達が自分という人間を 形成しております。 ものはいいようだし、捉えよう。 どんなことも楽しんでいく力が 自分にまだまだ足りてない。 良いことも嫌なことも、長い目でみたら 自分に

          自分という人間