安堵
ふぅ。
やっと一息つくことができた。
ここ最近目まぐるしく日々が過ぎ去り
気づいたらもう今年も残り半年。
平成から令和になった頃がもう
懐かしく感じるのは気のせいだろうか。
令和になって何が変わったのだろう。
恐らくほとんどが何も
変わってないんじゃないだろうか。
まあ、そんなもんだろう。
初めはみんな意識はするが
慣れてしまえばいつかの記憶になってしまう。
慣れというものはこわい
ついこの前、教育実習が終わった。
中学生はあんなにも眩しかったのか。
屈託のない笑顔。
溢れんばかりの元気な挨拶。
素直で真っ直ぐな瞳。
車に差し込む西日を
手で覆い隠すように中学生を眺めていた。
あの純粋で綺麗な心を
自分は今でも持っているのか不安になった。
中学生と接するだけで
どこか自分も若返ったように感じる。
もう、10年も前のこと。
あの頃の自分もこんなんだったのかな。
そう思うと急に歳をとった気がした。
大人になるにつれて色んなことを考える。
考えるばかりに選択してしまう。
可能性を考え、不可能を想像し
決めつけたように判断する。
まだ何も行動もしていないのにも関わらず
危ないだの、怖いだの、やれるわけがないだの
どこからそんなにたくさん出てくるのだろう。
言い訳専用の四次元ポケットでも
持っているのだろうか。
そんなのは異次元だけにして欲しい。
いつから子どもは大人になるのだろう。
(というか大人ってなに。大きい人やん。
それだけやん。何が偉いねん)
辞書によると「大人」とは
1人前に成長した人。また、成人。らしい。
曖昧すぎて分からない。
あなたはあなたで、わたしはわたし。
あなたの人生をわたしは生きたことがないし
わたしの人生をあなたは生きたことがない。
赤ちゃんだろうと、子どもだろうと、
大人だろうと、お年寄りだろうと、
その人の人生はその人にしか
生きることができない。
だから、ある人の人生に対して
とやかく言う必要なんてない。
考え方も思いも一人一人違うこの世界。
分かってもらいたい思いもあるかもしれない。
けど、分かってもらえる前提でいるのは違う。
強制でも、押しつけでもない。
穏やかに流れる川のように
誰かの心を温かく満たせることができたのなら
これほど幸せなことはない。
大人が子どもの可能性を諦めて何になる。
頭ごなしに否定するのではなく
ただ真っ直ぐに信じる。
そんな時も大切なのではないだろうか。
どんな人にもあった、あの頃のように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?