適応障害と診断されるまで⑤入院とその後
※これは、闘病記ではないので、入院中の治療のことは書かない。
緊急入院
入院期間は2週間。
一番安堵したのは、その間、出勤しなくていいこと。
仕事を忘れられること、だった。
病院に許可をもらい、病室で、入院したことを職場に電話した。
言われたのは、当たり前かもしれないけど、仕事の状況だった。
発熱と点滴と、治療用の管で話すのがしんどかった。
1度では終われず、何度も職場から電話がかかってきた。
正直、寝たかった。しんどくて、仕事のことなんか考えられなかった。
持っている急ぎの仕事。教えている新人さんへの指示。
対応が必要な業務の伝達。
それらを全部口頭で行った。正直、心が折れそうだった。
早く退院したい気持ちと、退院したくない気持ちが入り混じった入院生活だった。
職場からは、入院中何度も電話があった。
そのたびに、心が沈んでいく。
仕事の内容を伝えるたびに、仕事に対してどうでもよくなっていく。
社会人として、どうなんだろう。
これって仕事じゃないのかな?
緊急で入院しているのに、ここまでしなきゃいけないの??
その気持ちが私の中で面積を占めていった。
退院、そして出勤
退院したら、すぐに出勤しないといけないだろうと思ったから、体力だけは衰えさせたくなくて、なるべく動くようにした。
退院後、2日の自宅療養期間を経て、職場と相談して半日だけ出社した。
想像以上に体力がなくなっていた。出社するだけで息が上がった。
休んでいる間の仕事の確認と新人さんの仕事の確認。
正直、それも終わらせられずに退院後の初出勤は終わった。
2日目も半日にしていたけど、同様の状況で何も進められなかった。産業医の先生と面談があって、半日勤務の指示があった。
仕事の範囲は増えた。他の人がカバーしてくれるとは言え、半日の時間で終わらせられなかった。
午前勤務で昼休みも仕事をしている状態。今にも泣きそうだった。
トイレに立つ余裕も取れなくなった。
先輩からは「どうして仕事が終わっていないのか」「どうしてできていないのか」を問われるようになった。
入院中に対応してもらっていた作業の確認、その間にできていなかった私だけの担当業務、新人さんの業務確認。
終わらせられなかった。
退院後驚いたのは、世間の速度感覚に慣れられないことだった。世間の速度は速かった。
退院後の私の速度は、入院前の半分以下の速度になっていたんだろうと思う。処理能力が、ことごとく低下していた。
体調や仕事の進捗の打ち合わせも増えた。
半日勤務の中で、仕事ができる時間は2時間以下。その中で、以前と同じように仕事をするのは、はっきり言って不可能って思った。
体調や仕事の進捗の打ち合わせでも、それを伝えたが、「これ以上減らしたらフルタイムに戻っても仕事にならない」と断られた。
『伝えたかったのは、それではない』と心の中で何度も思ったけど、言葉にできなくて飲み込んだ。
『会社側の意見も分かる。でも、、、』
その気持ちがどんどん私の心の中を濁らせていく。
退院後の話
産業医の先生と面談で、これからどうするかを聞かれた。
職場の関係者と話をしていて、「この職場は自分には合わない」との認識があった。
体調が落ち着いたら、転職を考えることを伝えていた。
退院したころ、精神科への通院も始めていた。
「かるい鬱の症状がありますね」と言われてはいた。
でも、聞き流していた。
『薬飲まなかったら、どうせ鬱と診断されようとなんだろうと関係ない』
そう思っていたから。
これが発達障害の診断のための通院だった。(発達障害については、別のノートに書いています)
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