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3行ポジティブ日記(「他人を攻撃せずにはいられない人」感想文が8割) 10/23日

・今日は「他人を攻撃せずにはいられない人」という本を三時間かけて読了
 した。そのため、感想文を日記に書き留める。いちいちフォーマットを
 用意して読書感想文を書く準備を整える暇があったら思い立った時に
 行動に移したほうが遥かに良い。

 とりあえず学んだことを3つ記載。
 1つ目は自分がターゲットにされていたことに気がついたこと。
 これが一番大きい。母親から露骨に否定的な態度を取られて、
 不安を煽るような発言を受けていたのは既知の話題。
 何度もnoteで記事を執筆して大部、母親の行動原理も把握し、
 相手の目論見に引っ掛からないようにはなった。

 問題は自分に唯一いた友達(現在も形上は友達であるが距離を
 置いている)が本書で取り扱われていた、他人を攻撃せずには
 いられない自己愛の強い人であったということだ。

 小学校6年間ずっと同じクラスで仲良くしていたが、その関係性には
 どこか不安定さも伴っていたと当時から違和感を覚える節はあった。

 例えば自分を虐める癖に都合の良い時だけは「親友だから」という常套句
 を用いて自分と親友でいることは特別であるという感情を抱かせるなど。

 僕は彼の自分への関心を惹きつける罠にまんまとハマっていた。
 とにかく親友という言葉に翻弄され、段々とおかしな関係になっても
 その異常を疑わず受動的に相手に服従していた。
 まるで、友達であるという関係性が餌になっている犬のようである。

 思えば、その友達は周囲の人間からとても煙たがれていた。
 自分の都合の悪い時は過度にヒステリックに泣き叫び、すぐに先生に
 助けを求め、先生に依存すれば何でも赦して貰えるように思っている
 ようにも見えた。一人っ子で多少金持ちだった故かもしれない。

 過去に存在した彼以外の友達と会話する時も彼と関わることへの
 おかしさを何度も告げられた。しかし、離れることが出来なかった。
 変だと薄々勘付いていても友達が居なくなって一人で自立しなければ
 いけないことへの恐怖が表れているように思う。

 多分、境界性パーソナリティ障害と自己愛性パーソナリティ障害の
 人がよく陥る共依存になり、お互い切っても切り離せない関係に
 なっていたのだろう。

 中学校に入学した当初はクラスが別々になったことに怖さも
 覚えていていたが、今となっては孤独に耐える力を3年間通して
 身につけることが出来て良かった。高校になってその友達もイエスマンに
 依存せずに生きることに耐え、少し風貌が変わったように見える。

 いずれにせよ、本書を読んで過去の友達関係の異常性を再発見する
 ことが出来たので良かった。久々に心が突き動かされた。

 2つ目は攻撃性を持つ人は自分の攻撃性を上手く包み隠しながら
 アタックして来るということ。
 例えば標的の罪悪感に語りかけたり、自分に依存させるように
 あえて何かを与える場合がある。そしてその巧妙な手口は一見すると
 善人の行いのように見えて、反感を買うほうが悪人だと皮肉な捉えられ方
 をすることもある。

 僕の家庭の例は表面だけ見ると美しい姿形をしているから第三者には
 伝わって欲しい形では伝わらない。
 しかし実際には「善意の押し付け」が横行されておりは母以外の家族が
 ウンザリしている。
 例えば、拒否しているのに毎日朝昼晩サプリメントを8錠ずつ最低でも
 飲まなければいけないなど。強制的に口に入れられるストレスは
 計り知れない。しかし、母親にとってはあくまで自分の考えが正しいと
 盲信しているので、自分の行動を疑うことはないのだ。他人が働きかけ
 ても聞く耳など持つはずがない。

 自分の行動は全肯定するのに他人の行いに関しては敏感に反応するのも
 また厄介である。勉強すれば「もっと遊べ!」と言うし、本を読めば
 「そんな本読むな!(回避性パーソナリティ障害の本)」と指摘する。
 恐らく自分自身への劣等感から、自分より子供のレベルが高くなることを
 強く畏怖して他人の行動に文句を付けないと自尊心を保てないのだろう。
 しかし母の「ああ言えばこう言う」的な発言に一喜一憂していては
 自分の生きたい人生を生きられず主体性を失うことにも繋がるので、
 そこは母親との境界線を引いて、あくまで土足で自分の領域に踏み込んで
 来た人の意見には耳を傾けないようにしたい。

 3つ目は他人を攻撃せずにはいられない人から身を守る方法について。
 普段から無意識的に実践していたことが、そのまま誇大型自己愛の人への
 対処法となっていた。ちなみに、誇大型自己愛の人が自分の病理に気付き
 改善する方法は記載されていない。誇大型は自己愛性パーソナリティ障害
 の中でも本人が認めるのが困難な部類だから、根本的な解決策は無いと
 筆者は割り切ったようだ。過敏型自己愛性パーソナリティ障害の場合は
 基本的に自責思考なのでまだ改善の余地はあるように思える。本書では
 予想通り過敏型自己愛には一切言及されていなかった。

 対処法の1つ目は相手から植え付けられた価値観・ライフスタイルなどの
 当たり前を疑って見るということ。主体性を失い受動的に生きるように
 なってしまった被害者の人は正直自分一人で懐疑的に物事を見れるように
 なるのは困難。だからインターネット上などで第三者からのニュートラル
 な視点で様々な意見を受けた方が良いと思った。自分自身も中1の頃から
 Yahoo知恵袋を始めて今までに800件以上の質問をしてきた。そして色々な
 考え方を知る上で母親の考え方だけが全てではないと悟った。
 僕の兄は特に知的障害もあり、母親の理想の飼い犬と化しているので
 既成の概念以外の考え方を自分が教えてやりたいと思う。
 …同じ考え方にこだわる重度のASDでもあるので効き目は薄いだろうけど

 対処法の2つ目はその人を出来るだけ回避して、関わる場面があっても
 口数を少なくするということ。
 相手の無責任な罵倒発言に影響されると加害者の思うツボになって
 良いように言いくるめられたり、感情をコントロールされてしまう。
 そのためには相手と関わらないのが一番。関わる必要性があるから
 被害者になる気持ちは分かる。だから口数を極力減らして相手が噴火
 している時は放置して相手の課題に漬け込まないのが良い。
 加担すると燃料が投下されたように余計イキイキ動き出す。
 意外と「何もしない」が最良の選択なのかも。


ここからは通常の3行ポジティブ日記。

・今日は学校で1日中体調が優れなかった。原因は5時間連続であつ森に
 依存したことだろう。昨日で思い知らされた。自由度の高いゲームを
 遊ぶと必ず作業的な遊び方に固執し、受動的娯楽になってしまうことを。
 どうせ貴重な時間を割いて遊ぶなら知識の吸収効率が良い方が最適なので
 これからは自己成長に繋がらないゲームは遊ばず、本を読むことに時間を
 使う。どんなゲームを遊んでも本質的に楽しいと感じない理由は成長する
 要素が乏しいからであると思った。モンハンや妖怪ウォッチバスターズの
 ようなゲームを楽しいと感じたのはプレイヤー自身の腕を磨かないと
 ボスに太刀打ちできないゲーム性故だろう。

・家に帰宅してから直ぐにベッドにバタンキュー。7時35分まで計3時間ほど
 仮眠を取った。昨日は仮眠を一度も取らずに活動し続けていたから、
 それも疲れ具合に関係していたのかもしれない。いずれにせよ睡眠は
 大切。寝なきゃ1日は始まらない。

・学校の掃除の時間が楽しかった。仕事を貰えるのは本当に嬉しい。
 仕事がない文化祭の準備期間ほどキツイものはない。
 運動することもできたし、何かの役職に従事しているだけで
 心強い安心感がある。


 

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