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【短編小説 森のアコーディオン弾き 5】宴

5. うたげ

太陽が緞帳どんちょうのすそを引きながら山の向こうに沈み始めた。
だいだいの緞帳はすっかり引き下ろされると濃紺に変わり、そこに月がぽかりと浮かんだ。
高く積まれた枝や松ぼっくりに火が灯され、長老オウムのロレンツォの喜寿を祝う宴の準備が整った。
広場はごちそうで溢れていた。つやつやの木の実、甘い香りを漂わせるネクタール、瑞々しい葡萄ぶどうが山のように積まれ、何種類ものベリーの周りを囲むように飾られた摘みたてのクレソンとルッコラ、その横には飲物をなみなみとたたえた樽がいくつも並べられていた。
ロレンツォは広場の中央の切り株に立ち、喉の調子を確かめるように一つ咳払いをした。
「今日はよく集まってくれた。こうして無事にこの日を迎えられたのも皆のおかげだ。礼を言おう。主賓が開会の挨拶をするというのもおかしなものだが、しかたない、これはわしの役割になってしまっているからして・・・・・・ えー、して、今宵は特別な賓客ひんきゃく、いや、何と言おうか、音楽家と言った方がよいのだな? 彼についてはすでに多くの者が知っているとは思うが・・・・・・」
歯切れの悪いロレンツォに、「いつもと違う」、「演説の名手が、らしくないな」と言い合い、動物達の顔は自ずとほぐれた。
「わしの長話など、どうでもよくてだな。もうさっさと紹介しよう、アコーディオン弾きのフラヴィオだ!」
洞窟の中からフラヴィオが登場し、ロレンツォに譲られた切り株に座った。
「さあ始めよう!」
ロレンツォの掛け声で、フラヴィオは軽快に前奏を弾き始めた。それがフニクリ・フニクラFuniculì funiculà(注1)だと分かると、動物達は歓声をあげ、すぐに歌い出した。

行こう行こう 火の山へ
行こう行こう 頂上へ
フニクリ フニクラ フニクリ フニクラ
さあ乗りこもう 登山電車

歌声は空高く響き、焚き火は一層高く炎を上げ、皆の顔を赤く照らした。
「今夜の宴は、一味も二味も違ったものになろう」
ロレンツォは満足げに広場を見渡した。
するとどこからともなく蝶(注2)の群れがやってきた。
蝶はフラヴィオの綺麗になでつけられたたてがみに止まった。カルヴィーノの耳、ロレンツォの頭、集まった動物達のあちこちに止まった。ハルベルトに止まりかけた蝶だけは、ハルベルトのまわりをひらりと飛んで身を翻し、よそへ行くことにしたようだった。
「アズーラが呼んでくれたんだ。フラヴィオの蝶ネクタイみたいになるからって」
本当は自分が呼んだ。だけどそう言わないとハルベルトが食べてしまうからと、カルヴィーノはロレンツォにだけ聞こえるように言った。うけ合ったロレンツォは感心しきりとばかりに、次々と舞い降りる蝶を仰いだ。
蝶の羽の模様は不思議に青く光り、焚き火の赤を映して紫に、ぱちっとはぜた火の粉の黄色で緑にと、しきりに色を変えた。
「今夜は食べちゃだめだよ。アズーラのお客さんなんだから」
カルヴィーノはハルベルトに釘をさした。
「わかってるよ」
そう言いながらも、ハルベルトは飛び交う蝶を忙しく目で追っていた。
フニクリ・フニクラが終わると、動物達はロレンツォを囲み、祝いの言葉をかけ始めた。

フーカ フーカ

突然奇妙な音が響いて、動物達は凍りついた。
蛇腹に穴があいていた時のフラヴィオのアコーディオンのものとは違う、聞いたことのない音だった。皆であたりを見回したが音の主の姿が見えない。
「ハーモニカの音だ。サーカスでも吹く者がいる」
あれも楽器の一つだと言うフラヴィオに、動物達は安心したようだったが、だけど一体誰なんだと顔を見合わせた。
「そこにいるんでしょ? 誰?」
カルヴィーノは音のしたやぶに向かって言った。もう足は震えなかった。
「旅の者だ」
音の主が答えた。
「出てきて一緒に楽しもうよ」
「いいや、俺らはここで楽しむことにするよ」
そう答えた旅人と名乗る男は、調子を試すようにハーモニカをふき始めた。
動物達は、「きっと恥ずかしがりやなんだろう」と決め込んで、「ならばそっとしておこう」、「それより早くフラヴィオのアコーディオンで歌いたい」と言って、さっさとフラヴィオに向き直った。片眉をひそめたままのロレンツォは、それでも何か納得したようにうんとうなずいた。
「今夜は休戦だ。俺らが狩人だと知ったら宴が台無しだからな」
ハーモニカの男が隣の男に囁いた。
「そうだな。今夜に限って野暮はなしだ」
隣の男はそう答えて、その横に伏せていた猟犬の背中をぽんぽんと叩いた。猟犬はくるりと丸まって目を閉じた。

フーフーカ フーカ

男のハーモニカが切り出した。
フラヴィオはああと笑って、それに合わせて伴奏を始めた。動物達は湧きたち、オー・ソーレ・ミオO Sole Mioの大合唱が始まった。
満ちた月も手伝って、動物達は夜通し歌い踊った。
時々またたく蝶の羽は、ちらちらと揺れるろうそくのように広場一面を照らした。

いつもの静かな夜だった。
アコーディオンの音色と動物達の歌声が、風に乗ってかすかに聞こえてくる。広場の方に目をやると、空の色がぼんやり明るい。時々近くで鳴く虫は、調子はずれな合いの手を入れているようで少し可笑しくもあった。

素晴らしきかな 輝く太陽
嵐のあとの澄みきった世界
まったく祝いの日のようで
なんと美しい 輝く太陽
それよりもっと輝くは
もう一つの輝く太陽
我らの太陽 それは君
君の瞳に まぶしい太陽
我らの瞳に 輝く君 (注3)

風が連れてくる歌声に首を寄せかけた。
すると青く光る蝶が飛んできた。
一羽、もう一羽と、蝶はモニークに舞い降りた。
葉という葉、枝という枝で、蝶の青が月明りにまたたいた。
柔らかな光を放つランプのようだった。
モニークにも何かが灯った。
木陰に雨が降り出した。
温かな雨だった。


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注1 イタリアの大衆民謡。フニクリ・フニクラ(1880)。いくつかの和訳を元にアレンジしています。
注2 アオスジアゲハでお願いします。
注3 ナポリ民謡。オー・ソレ・ミオ (1898)。いくつかの和訳を元にアレンジしています。


潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)