魚河岸まで八里#5
─一之江から東大島まで─
鮮魚街道(なまみち)の旅は写真集を作り力尽きた。だが、道は続いている。今度は鮮魚街道の終点である松戸の納屋河岸から、鮮魚が船で運ばれた日本橋魚河岸を目指し、江戸川、旧江戸川、新川、小名木川、日本橋川沿いを歩く。
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二月上旬。11時30分に都営新宿線本八幡駅に滑り込んだ。ミシン油のような匂いのする新宿線の車内は本八幡始発なので空いていた。
ここから一之江駅まで3駅で8分。あっという間に着いた。隣りの若いカップルは、いちゃこきながら新宿三丁目まで行き、伊勢丹で買い物するのだろう。
電車に一之江駅のホームでペッと吐き出される。地上に向かうエスカレーターは結構混んでいた。住民利用にしては多すぎる。いったい誰がなんの目的でこの駅を利用するのかわからない。
駅から地上に出ると町は素知らぬふりをしていた。いつもの事だが前回来たときの街の景色を全然覚えていない。ついひと月前に来たばかりなのに。出口が違ったか。
駅前の案内地図を見て、さらにグーグルマップで確認しながらそろりそろりと歩きはじめた。方向音痴は最初に踏み出す一歩の方向がそもそも間違っている。だから私はそろりそろりと歩み出すのだ。
ここでカメラ、ライカSLを一澤帆布の地質調査鞄から出した。いつもは電車の中で準備するのだが、事前に出してなくてよかった。
なぜなら一之江駅の急な斜路のエスカレーターでくっそミニスカのギャルがどまん前にいたからだ。
もしカメラを首から下げていたら、私は盗撮するわけでもないのに顔を赤らめただろう。ひょっとすると顔を赤らめただけなのに交番に連れて行かれるかもしれない。そして交番に連れて行かれただけなのに自白してしまうだろう。
とりあえず旧江戸川に出るため、水の匂いを嗅ぎながら川に向かって歩いた。方向さえ合っていれば自ずと川にぶち当たろう。
今井街道を歩き、どんつきの新中川まで出た。新中川の川沿いはちょっと寂れた住宅地だが、人の気配は全くない。陽は川沿いに置かれた盆栽に満遍なく降り注いでいる。たまに通るミニバンは介護施設の車ばかりで、この町の若者はいったいどこへいったのやら。
かなり立派な今井水門が見えてきた。近代的な水門でサンダーバードに出てくるメカのように扉には大きめに番号がふられていた。
水門近辺は良さげな歩道もなく、仕方がなしに新中川の土手を歩いた。
新中川と旧江戸川の分岐点はとてつもなく広かった。あの微かに見える対岸は千葉県の南行徳辺りだろう。旧江戸川の土手を降りたり、登ったりを繰り返し、いよいよ今日のメインイベントである新川の河口に来た。この大事な新川の始まりを写真で押さえたいのだが、河口は大規模な工事中で立ち入れない。さらには暗渠のように蓋がしてあり、川面すら拝ませてくれないのだ。蓋の上は公園になっていて、川の水は丸いトンネルを流れる。情緒もへったくりもあったもんじゃない。
この新川は鮮魚が高瀬舟に積まれて通った道でもあるが、行徳から塩を幕府に献上するために作られた「塩の道」でもあったという。江戸時代にはとても重要で賑わいを見せていたというのだが、完全に期待外れだった。
気を取り直して新川沿いを歩こう。
新川の護岸は完全に粒の揃った石垣が積まれ、舗道もアスファルトで固められている。途中途中で〝なんちゃって江戸風〟の木製の橋が架けられている。これが余計に景色として寒い。逆にいうと時代劇で電線が見えちゃってるぐらい寒い。なんの逆かはわからないけど。
川沿いは家も新しい住宅ばかりで歴史のある商家など微塵も残っていなかった。
残念なことにこれが延々と続いた。
新川の歴史を伝えるレリーフには「過去には汽船なども通り、重要な水運を担っていましたが、現在では都会における憩いの水辺として生まれ変わりました」と書いてあった。
正直がっかりしたが、今日一日でこのつまらない新川をさっさとクリアしようと思った。街が無機質で撮れ高が期待出来ないのなら、早く歩けばいいのだ。
加速装置‼︎‼︎
私はサイボーグ009のようにつぶやいた。これにより体感速度を含めたすべてのスピードが上昇し、走る速さはマッハ3に達する。
一気に新川さくら館の前まで来た。ちょうどイベントがやっていて、露店が出ていたり、和船の体験イベントなどが行われていた。船頭のおじいさんたちがジーンズに法被を羽織り被り笠をしている。和船は乗りたかったが要予約制だった。
ほかに見るものもない。そうそう、この川沿いは桜並木が千本も並…
加速装置‼︎‼︎
船堀駅の誘惑にも負けず、新川の終点まで来た。西水門広場にあるレゴブロックで作られたような火の見やぐらが実にチープだ。80億円かけてこんなもん作ってどうすんのかという疑問しか残らない。
新川の終点とは中川と荒川を越えることを意味する。それを渡す船堀橋のたもとまで結構な距離を歩き、階段を登った。橋を渡るとすぐにモーター音が聞こえる。江戸川競艇場である。船堀橋から丸見えなのだ。
ちょうど日本財団会長杯の7レースが始まっていた。結果は3連単で①-④-⑤、2,910円がついた。4号艇のルーキー石渡翔一郎が2着に入る健闘をみせた。ちなみに彼の父親は千葉県市原市出身のボートレーサー石渡鉄兵である。
しかし、江戸川競艇場は中川にある。どちらかというと荒川に近い。
江戸川関係ない。
本当にガチの河川でやっているボートレース場は全国24場のなかでここだけだ。なので一般の船舶が通るときはレースを一旦中止する。なんて誰も得をしない豆知識をここに置いておくよ。
中川を越えると次は荒川を渡る。荒川も川幅は広い。船堀駅でギブすれば良かった。とてつもなく歩いた。浮かれて橋からの眺望を撮ったそのあとは、苦行の歩きが待っている。脚を第一のカラー竹馬のようにつっぱりながらなんとか渡り切った。
渡り切ったあとはすぐに東大島駅がある。
公園を横切り、恥ずかしげに地上に出ている都営新宿線の線路を追って歩いたらなんの余韻もなく駅に着いてしまった。
今日はこのあとに越谷まで移動するので駅前散策は次回にしよう。新川の旅が終わったので、次は小名木川を歩く。